久しぶりに書いています。
学校教育を批判する人間は少ないです。それだけ、国民が学校批判をしないように学校でしっかりと教え込まれているからです。
前にも書いたように、学校教育で学びを強要された人間は近い将来滅びます。
その理由1
人間は他の動物とは違い、自分で考えて行動するという特殊な能力を持っているからです。考えるとは想像することであり、想像は自由であり無限なのです。
つまり、人間だけが真の自由を持つ生き物だということです。
勝手気ままに生きる動物はたくさんいるので、彼らを自由だと思いう人も多いでしょうが、実は彼らには自由はありません。
だって、自然から与えられた環境と能力の範囲の中でしか生きれないからです。要は犬は犬の人生しか生きれないということです。
しかし、人間は、自分で生きる目的を自由に決められるのです。何をしてどう生きようと自由なのです。まあ、現実には国家なるものが学校教育を使ってそれを邪魔して自由に生きれない人ばかりですが。
この自分で考えて行動する・・・・言葉にすれば大したことないように見えますが、これをやるための必要な能力は恐らく神様にも匹敵する能力なのです。
誰かの支配も受けずに自分の意志で全てを決められるのは、恐らく、想像上の神様と人間だけではないかと思います。
しかし、個々の人間がそのすごい能力を発揮すると、人間は一人でも生きていけることになり、社会やましてや国家などというくだらない組織を必要としなくなるのです。
現実的に見れば、今や人間は社会や国家のサポートなしでは生きていけないほど無能・無力に落ちぶれているということなのです。
まあ、それでも社会やこっかのサポートで生きられれば良いではないかと多くの人は思われると思います。
でも、悲しいかな、それは許されないのです。
何故なら、本来はそういうものに縛られずに生きていけるすごい能力を持っているから。それは、言い換えれば、それを支える凄い脳を持っているからということなのです。
何故、そういう脳を持っていたら許されないのか?
それは、生き物に備わる進化と退化という変化の宿命があるからなのです。この動物界で最もひ弱な人間が、ここまで生きてこれたのは、神様にも匹敵する凄い脳を進化によって手にしたからなのです。
一人でも生きていける脳を手にしたことで人間は生き延びてきた。
しかし、今や群れなければ単独では生きていけない畜生並の能力しか必要としなくなったのです。つまり、その神様にも匹敵する脳は不要になってしまったということ。
そうなると必然的に退化が始まるのです。必要なものは与えられるが不要なものは奪われるのが自然の掟だから。
で、どうなるかと言えば、いらない脳細胞が消失していくのです。
これを医者たちは認知症と呼んでいます。前にも書いたと思いますが、認知症とは死に至る不治の病と医者は言っている。
でも、現実は病ではなく退化という自然現象なので治らないのです。そして、恐ろしいことに今や若年性認知症が10代から始まるということが起こっています。
自然から生まれた人間は自然に逆らうことは出来ない。
昔は殆どなかった認知症。それが、学びを強要した学校教育とこの便利な文化的な社会によって、今爆発的に増えているのです。
2019年以降、政府は認知症の患者数を発表していません。しかし、マスコミによれば、昨年の死因1位にガンを押しのけて認知症が鳴ったという報道がありました。
政府やマスコミは少子化を問題視していますが、本当の問題は少子化ではなく、これから始まる多死社会にあるのです。
そして、脳が退化する認知症が増えれば、彼らをケアする人材が足りなくなるでしょう。それよりも、認知症が増えることで人々に恐怖を与えることになると思います。
そして何より問題なのは、学校で学びを強要された大人たちは、気づかないという致命的な性質を持っているんです。
だから、政府や学者もこの事実には気づかない。自然の摂理の基本である進化と退化の法則さえ知らないのです。まさか、そんなことで人間が滅びるなんて思いもしないでしょう。
だって、未だかつてそういう話は聞いたことも見たこともないのですから。未来は何が起こるか分からないのです。過去にあったことが起こるのではない。
これまでに起こったこともないことが起こるのが未来なのです。
しかし、学ぶ人間は過去しか見ないので、気づかないのです。これは考える人間でないと気づけない恐ろしい未来と言えるでしょう。
知らぬが仏という言葉がありますが、これが本格的に始まれば否応なしに知らされることになる。その時にパニックを起こすと社会は壊れ人間の滅亡も早まると思います。
この豊かさに浮かれていたらひどい目に遭うと思います。
怖いのは地震でも噴火でも台風でも水害でもないのです。人間の脳が消失して脳死から人間が滅んでいくことです。
もし、生き残りたければ、お金を捨て文明を捨て国を捨てるほかありません。これまでに得た環境に甘んじることこそが致命傷になるからです。
あと10年もすれば、このことが明確になるかもしれませんが、恐らく、その理由を突き止めることは出来ないと思います。
何故なら、学びと文明は聖域だから。
