三国志(223) 呉 起つ |  今中基のブログ

 容貌の端麗に似あわず、周瑜には底意地のわるい所がある。君前、また衆臣環視のなかで、張昭を躍起にさせておいて、その主張をことごとく弁駁し、嘲笑し去って和平派の文官達の口を、まったく封じてしまったのである。
 その上で。
 彼は、やおら孫権に向って、自己の主張を述べ出した。
 何のことはない。今まで張昭を論争の相手にしていたのは、ここでいおうとする自己硬論を引っ立てるワキ役に引きだしていたようなものだった。
 「曹軍の強勇なことは確かだがそれも陸兵だけのことだ。北国育ちの野将山兵に、何で江上の水軍があやつれよう。馬上でこそ口をきけ、いかに曹操たりともわが水軍に対しては、一籌を輸するものがあろう」
 まず和平派の一論拠を、こう駁砕してから、
 「また、より以上、重要視すべきは、国そのものの態勢と四隣の位置でなければならん。わが呉は、南方は環海の安らかに、大江の嶮は東方をめぐり、西隣また何の患いもない。――それに反して魏は、北国の平定もつい昨日のこと、その残軍離亡の旧敵などたえず曹操の破れをうかがっていることはいうまでもない。後ろにはそうした馬超、韓遂の輩があり、前には玄徳、劉琦の一脅威をひかえ、しかも許都の中府を遠く出て、江上山野に転戦していることは――われら兵家の者が心して見れば、その危うさは累卵にひとしいものがある。……いわばこの際は彼自ら呉境へ首を埋める墳を探しにきたようなものだ。

 この千載一遇の機会を逸すばかりか、ひざまずいて、彼の陣前に国土をささげ恥を百世にのこすも是非なしと断じるなどは、まことに言語道断な臆病沙汰というほかはない。君公、願わくはまずそれがしに数万の兵と船とを授け給え。まずもって、彼の大軍を撃砕し、口頭の論よりは事実を示して、和平を唱える諸員の臆病風を呉国から一掃してごらんに入れます」

 和平派は色を失った。
 驚動を抑えながら、固く唇をとじ合ったまま今はただ一縷の望みを、呉主孫権の面につないでいた。
 「おう周都督。いみじくもいわれたり。曹賊の経歴を見れば、朝廷にあっては常に野心勃々。諸州に対しては始終、制覇統一の目標に向って、夜叉羅刹の如き暴威をふるっている。袁紹、呂布、劉表、およそ羅刹の軍に呪われたもので完き者は一名もない。ただ今日まで、ひとりこの孫権が残されていたのみだ。豈、坐して曹賊の制覇にまかせ、袁紹、劉表などの惨めな前例にならおうぞ」
 「では、君にも、開戦と、お心を決しられましたか」
 「卿は、全軍を督し、魯粛は陸兵をひきい、誓って、曹賊を討て」
 「もとより、呉のために、一命はかえりみぬ覚悟ですが、ただなおご主君が、微かでも、ご決心をにぶらすことはなきやと、臣のおそれるのはただそれだけです」
 「そうか」
 孫権はいきなり立って、佩いている剣を抜き払い、
 「曹操の首を断つ前に、まずわが迷妄から、かくのごとく斬るっ!」
 と、前の几案を、一揮に、両断して見せた。
 そしてその剣を、高々と片手にふりあげ、
 「今日以後、ふたたびこの問題で評議はすまい。汝ら、文武の諸大将、また吏卒にいたるまで、かさねて曹操に降伏せんなどと口にする者あらば、見よ、この几案と同じものになることを!」
 大堂の宣言は、階下にとどろき、階下のどよめきは中門、外門につたわって、たちまち全城の諸声となり、わあっ――と旋風のごとく天地に震った。
 「周瑜。わしの剣を佩いて征け」
 孫権は、その剣を、周瑜にさずけて、その場で、彼を呉軍大都督とし、程普を副都督に任じ、また魯粛を賛軍校尉として、
 「下知にそむく者あらば斬れ」と、命じた。                                       「断」は下った。開戦は宣せられたのである。張昭以下和平派は、ただ唖然たるのみだった。
 周瑜は、剣を拝受して、
 「不肖、呉君の命をうけて、今より打破曹操の大任をうく。それ、戦いにあたるや、第一に軍律を重しとなす。七禁令、五十四斬、違背あるものは、必ず罰せん。明暁天までに、総勢ことごとく出陣の具をととのえ、江の畔まで集まれ。所属、手配はその場において下知するであろう」
 と、諸員へ告げた。

 文武の諸大将は、黙々と退出した。周瑜は家に帰るとすぐ孔明を呼びにやり、きょうの模様と、大議一決の由を語って、
 「さて。先生の良計を示し給え」
 と、ひそかにたずねた。
 孔明は、心のうちで「わが事成れり」と思ったが、色には見せず、
 「いやいや、呉君のお胸には、なおまだ一抹の不安を残しおられているに違いありません。寡は衆に敵せず――このことは、ご自身にも、深く憂いて、恟々と自信なく、如何にかはせんと、惑っている所でしょう。都督閣下には、労を惜しまず、暁天の出陣までに、もう一度登城して、つぶさに敵味方の軍数を説き示し、呉君に確たる自信をお与えしておく必要があるかと思われるが」
 と、すすめた。
 いやしくも呉の一進一退は、いまや玄徳の運命にも直接重大な関係を生じてきたとみるや、孔明が主家のために、大事に大事をとることは、実に、石橋を叩いて渡るように細心だった。
 「――実にも」
 と同意して、周瑜はふたたび城へ登った。もう夜半だったが、あすの暁天こそ、呉にとっては興亡のわかれを賭した大戦にのぞむ前夜なので、孫権もまだ寝もやらぬ様子だった。
 すぐ周瑜を引いて、
  「夜中、何事か」と、会った。        
 周瑜は、いった。
 「いよいよ明朝は発向しますが、君のご決心にも、もうご変化はありますまいな」
 「この期に至って、念にも及ばぬことではないか。……ただ、いまも眠りにつきかねていたのは、如何せん、魏に対して、呉の兵数の少ないことだけだが」
 「そうでしょう。実は、その儀について、退出の後、ふと君にもお疑いあらんかと思い出したので、急に、夜中をおしてお目通りに出たわけですが。……そもそも、曹操が大兵百万と号している数には、だいぶ懸値があるものと自分は観ております」
 「もちろん多少の誇大はあろうが、それにしても、呉との差はだいぶあろう。実数はどのくらいか」
「測るに……中国の曹直属の軍は十五、六万に過ぎますまい。それへ旧袁紹軍の[#「袁紹軍の」は底本では「袁昭軍の」]北兵の勢約七、八万は加えておりますが、もともと被征服者の特有として、意気なく、忠勇なく、ただ麾下についているだけのもの。ほとんど怖るるに足りません」
 「なお、劉表の配下であった荊州の将士も、多分に加わっているわけだが」
 「それとて、まだ日は浅く、曹自身、その兵団や将には、疑心をもって、よく、重要な戦区に用いることはできないにきまっています。こう大観してくると、多く見ても、三十万か四十万、その質に至っては、わが呉の一体一色とは、較べものになりますまい」
 「でも、それに対して、呉の兵力は」

  「明朝、江岸に集まる兵は、約五万あります。主君には、あと三万を召集して、兵糧武具、船備など充分にご用意あって、おあとからお進み下さい。周瑜五万の先陣は、大江をさかのぼり、陸路を駈け、水陸一手となって、曹軍を突き破って参りますから」と、勇気づけた。
 そう聞いて孫権は初めて確信を抱いたものの如く、なお大策を語りあい、未明にわかれた。(223話)
 

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