三国志(222) 周瑜 立つか |  今中基のブログ

 孔明は静かに語り始めた。
 「曹操の第二子に、曹子建というものがある。父の操に似てよく詩文を作るので文人間に知られています。この子建に向って、父の操が、銅雀台の賦を作らせていますが、その賦を見るに、われ帝王とならばかならず二喬を迎えて楼台の花とせんという操の野望を暗に歌っています。それがあたかも英雄の情操として美しい理想なるかの如く――」
 「先生にはその賦を覚えておられるか」
 「文章の流麗なる を愛して、いつとなく暗誦じていますが」
 「ねがわくはそれを一吟し給え。静聴しよう」
 「ちょうど微酔の気はあり、夜は更けて静か。そぞろ私も何か低吟をそそられています。――どうかご両所とも盞をかさねながら、座興としてお聴きください」
 孔明は、睫毛をとじた。
 細い眸を燈にひらく。そして、静かに吟じ出した。抑揚はゆるく声は澄んで、朗々、聴く者をして飽かしめないものがある。
 明后ニ従ッテ嬉遊し層台ニ登ッテ情ヲタノシム
 中天ニ華観ヲ立テ飛閣ヲ西城ニ連ヌ
 漳ノ長流ニ臨ンデ園果ノ滋栄ヲ望ミ
 双台ヲ左右ニ列シテ玉龍ト金鳳トアリ
 二喬ヲ東南ニ挟ンデ長空ノ蝀螮如ク   
 皇都ノ宏麗ニ俯シ
 雲霞ノ浮動ヲ瞰ル
 群材ノ来リアツマルヲ欣ンデ
 飛熊ノ吉夢ニカナイ
 春風ノ和穆ヲ仰ギテ百鳥ノ悲鳴ヲ聴ク……。
 ――ふいに、卓の下で、がちゃんと、何か砕ける音がした。周瑜が手の酒盞を落したのである。そればかりか彼の髪の毛はそそり立ち、面は石のごとく硬ばっていた。                            
 「あ。お酒盞が砕けました」
 孔明が、吟をやめて、注意すると、周瑜は憤然、酔面に怒気を燃やして、
 「一箇の杯もまた天地の前兆と見ることができる。これはやがて魏の曹軍が地に捨て去る残骸のすがただ。先生、べつな酒盞をとって、それがしに酌し給え」
 「何か提督には、お気にさわったことでもあるのですか」
 「操父子の作った銅雀台の賦なるものは、先生の吟によって今夜初めて耳にしたが、辞句の驕慢はともかく、詩中にほのめかしてある喬家の二女に対する彼の野望は見のがし難い辱めだ。断じて、曹賊のあくなき野望を懲らしめねばならん」
 一盞また一盞、みずから酒をそそいで、彼の激色は火のような忿懣を加えるばかりである。孔明はわざと冷静に、そしてさもいぶかしげな眉をして問い返した。
「むかし匈奴の勢いがさかんな頃、しばしば中国を侵略して、時の漢朝も悩まされていた時代があります。当時天子は御涙をのんで、愛しき御女の君をもって、胡族の主に娶わせたまい、一時の和親を保って臥薪嘗胆、その間に弓馬をみがいたという例もあります。また元帝が王昭君を胡地へ送ったはなしも有名なものではありませんか。――なんで提督には、今この国家の危殆にのぞみながら、民間の二女を送るぐらいなことを、そう惜しんだり怒ったりされるのですか」

 「先生はまだ知らぬのか」
 「まだ知らぬかとは……?」
 「喬家の二女は、養われて民間にあったことは事実だが、姉の大喬は疾くより先君策の室にむかえられ、妹の小喬は、かくいう周瑜の妻となっておる。いまのわが妻はその小喬なのだ」
 「えっ、ではすでに、喬家の門を出ていたので。これは知らなんだ。惶恐、惶恐。知らぬこととは申せ、先ほどからの失礼、どうかおゆるし下さい。誤って、みだりに無用な舌の根をうごかし、罪、死にあたいします」
 と、孔明は打ち慄えて見せながら平あやまりに詫び入った。周瑜は、かさねて、
 「いや、先生に罪はない。先生のいう巷の風説だけならまだ信じないかも知れぬが、銅雀台の賦にまで歌っている以上、曹操もそれを公然と揚言しているのであろう。いかで彼の野望に先君の後室や、わが妻を贄に供されよう。破邪の旗、膺懲の剣、われに百千の水軍あり、強兵肥馬あり、誓って、彼を撃砕せずにはおかん」
 「――が、提督、古人もいっております。事を行うには三度よく思えと」
 「いやいや、三度はおろか、きょうは終日、戦わんか、忍ばんか、幾十度、沈思黙考をかさねていたかしれないのだ。――自分の決意はもううごかない。思うに、身不肖ながら、先君の遺言と大託をうけ、今日、呉の水軍総都督たり。今日までの修練研磨も何のためか。断じて、曹操ごときに、身を屈めて降伏することはできない」
 「しかし、ここから柴桑へ帰った諸官の者は、口を揃えて、周提督は、すでに和平の肚ぐみなりと、諸人のあいだに唱えていますが」
 「彼ら、懦弱な輩に、何で本心を打明けよう。仔細は輿論のうごきを察しるためにほかならない。或る者へは開戦といい、或る者へは降伏といい、味方の士気と異論の者の顔ぶれをながめていたのである」
 「ああさすがは」
 と、孔明は、胸をそらして、称揚するような姿態をした。周瑜はなお云いつづけて、
 「いま、鄱陽湖の軍船を、いちどに大江へ吐き出せば、江水の濤もたちまち逆しまに躍り、未熟な曹軍の船列を粉砕することもまたたく間である。ただ陸戦においては、やや彼に遜色を感じるものがないでもない。ねがわくは先生にも一臂の力をそえられい」
 「そのご決意さえ固ければ、もとより犬馬の労も惜しむものではありません。けれど呉君を始め、重臣たちのご意志のほども」
 「いやいや、明日、府中へ参ったら、呉君には自分からおすすめする。諸臣の異論など問題とするにはあたらない。号令一下。開戦の大号令一下あるのみだ」

 柴桑城の大堂には、暁天、早くも文武の諸将が整列して、呉主孫権の出座を迎えていた。
 夜来、幾度か早馬があって、鄱陽湖の周瑜は、未明に自邸を立ち、早朝登城して、今日の大評議に臨むであろうと、前触れがきているからである。
 やがて、真っ赤な朝陽が、城頭の東に雲を破って、人々の面にも照り映えて見えた頃、
 「周提督のお着きです」と、堂前はるかな一門から高らかに報らせる声がした。
 孫権は威儀を正して、彼の登階を待ちかまえていた。それに侍立する文武官の顔ぶれを見れば、左の列には張昭、顧雍、張紘、歩隲、諸葛瑾、虞翻、陳武、丁奉などの文官。――また右列には、程普、黄蓋、韓当、周泰、蒋欽、呂蒙、潘璋、陸遜などを始めとして、すべての武官、三十六将、各〻、衣冠剣佩をととのえて、
 「周都督が肚にすえてきた最後の断こそ、呉の運命を決するもの」
 と、みな異常な緊張をもって、彼のすがたを待っていた。
 周瑜は、ゆうべ孔明が帰ると、直ちに、鄱陽湖を立ってきたので、ほとんど一睡もしていなかった。
 しかしさすがに呉の傑物、いささかの疲れも見せず、まず孫権の座を拝し、諸員の礼をうけて、悠然と席についた姿は、この人あって初めてきょうの閣議も重きをなすかと思われた。
 孫権は、口を開くなり直問した。
 「急転直下、事態は険悪を極め、一刻の遷延もゆるさないところまで来てしまった。都督、卿の思うところは如何に。――忌憚なく腹中を述べてもらいたいが」
 「お答えする前にあたって、一応伺いますが、すでにご評定も何十回となくお開きと聞いています。諸大将の意見はどうなのですか」
 「それがだ。和戦両説に分れ、会議のたび紛々を重ねるばかりで一決しない。ゆえに卿の大論を聞かんと欲するわけだ」
 「君に降参をおすすめした者は誰と誰ですか」
 「張昭以下、その列の人々だが」
 「ははあ……」と、眸を移して、
 「張昭がご意見には、この際、戦うべからず、降参に如くなしとのご方針か」
 「しかり!」
 と張昭は敢然答えた。すこし小癪にさわったような語気もまじっていた。なぜならば、昨日、周瑜の官邸で面談したときの態度と、きょうの彼の容子とは、まるで違って見えたからである。
 「なぜ曹操に降参せねばならんのだろうか。呉は破虜将軍よりすでに三世を経た強国。曹操のごとき時流に投じた風雲児の出来星とはわけがちがう。――ご意見、周瑜にはいささか解しかねるが」
 「あいや。提督のおことばではあるが、時流の赴くところ、風雲の依って興るところ、決してばかにはなりますまい」

  「もちろん。――しかし、東呉六郡をつかね、基業三代にわたるわが呉の伝統と文化は、決してまだ老いてはいない。いや隆々として若い盛りにあるのだ。呉にこそ、風雲もあれ、時流もあれ、豈、一曹操のみが、天下を左右するものであろうぞ」
 「彼の強味は、何よりも、天子の勅命と号していることです。いかにわれわれが歯がみしてもこれに対しては」
 「あははは」と、一笑して「――僭称の賊、欺瞞の悪兵。故にこそ、大いに逆賊操を討つべきではないか。彼が騙りの名分を立てるなら、われらはもって朝命を汚す暴賊を討つべしとなし、膺懲の大義を世にふるい唱えねばならん」
 「さはいえ、水陸の大軍百万に近しと申す。名分はいずれにせよ、彼の強馬精兵に対するわれの寡兵と軍備不足。この実力の差をどうお考えあるか」
 「優数常に勝たず。大船常に小船に優らず。要は士気だ。士気をもって彼の隙を破るのは、用兵の妙機にある。――さすがに、御身は文官の長。兵事にはお晦いな」と、苦笑を送った。(222話)

 

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