橋上の趙雲は初めて、
「やあ、魏の人々。せっかく、これまで来ながら、ものもいわぬまに逃げ帰る法やある。待ち給え、待ち給え」と、呼びかけた。
はや曹操までが後から続いてきたので、張郃や徐晃も、ふたたび勇を鼓して、濠ぎわへと馳け向ってきた。――今や、矢頃と見たか、趙雲が下へ向って何か呶鳴ると、とたんに濠の蔭から無数の矢が大地とすれすれに射放して来た。
魏の人馬は、嘘のようにバタバタと仆れた。曹操は肝を冷して逃げ出した。すでに遅し蜀の別働部隊は、米倉山の横道に迂回し、また一手は北山のふもとへ出た。振り返れば、魏の陣々はいたるところ火の手である。曹操はいよいよ退却に急だったが、当然、城内から趙雲以下の全軍が追撃して来たため、漢水の流れにかかるや、ここかしこに溺るる者、討たるる者、その数も知れぬほどだった。
横道から米倉山の一端へ出て、魏の損害をさらに大にしたものは、蜀の劉封と孟達であった。これらの別働隊は、もちろん孔明のさしずによって、遠く迂回し、敵も味方も不測な地点から、黄忠と趙雲たちを扶《たす》けたものである。
それにしても、二人の功は大きい。わけて趙雲のこんどの働きには、平常よく彼を知る玄徳も、
「満身これ胆の人か」
と、今さらのように嘆称した。
その後、敵状を探るに、さしもの曹操も、予想外な損害に、すぐ立ち直ることもできず、遠く南鄭の辺りまで退陣して、 (この敗辱をそそがでやあるべき)と、ひたすら軍の増強を急ぎつつあるという。
ここに巴西《はせい》宕渠《とうきょ》の人で、王平字を子均《しきん》という者がある。この辺の地理にくわしいところから曹操に挙げられて、牙門《がもん》将軍として用いられ、いま徐晃の副将として、共に漢水の岸に立って、次の決戦を計っていたが、徐晃が、
「河を渡って陣を取らん」というのに、王平は反対して、
「水を背にするは不利だ」と、互いに、意見を異にしていた。
けれど徐晃は、
「韓信にも背水の陣があったことを知らぬか。孫子もいっている。死地ニ生アリ――と。ご辺は、歩兵をひきいて岸に拒《ふせ》げ。おれは馬武者をひきいて、敵を蹴破るから」
と、ついに浮橋を渡して、漢水を越えてしまった。
一歩対岸を踏んだらば、必ず蜀の勢《ぜい》が鼓《こ》を鳴らして来るだろうと予測していたところ、一本の矢すら飛んで来ないので、徐晃は拍子抜けしながらも、敵の柵を破壊し、壕を埋め、さんざんに振舞って、やがて日没に近づくと、蜀の陣地へ対して、ある限りの矢を射た。玄徳のそばにいて、この日、敵のなすままにさせていた黄忠や趙雲は、
「ははあ、夜に入る前に、徐晃の手勢も退《ひ》く気とみえます。あのようにむだ矢を射捨てている様子では」と、呟いて、その退路をおびやかすのは今だが、と身をむずむずさせていた。
玄徳も、その機微を察したか、急に令を下して、二人を急き立てた。勇躍した黄忠と趙雲は、やがて薄暮の野に兵をうごかし始めた。
「臆病者めが、ようやく今頃になって、居たたまれずに出てきたな」
徐晃は、蜀兵を見ると、終日の血の飢えを一気に満たさんとする餓虎のように喚《おめ》きでた。
「まさしく黄忠。老いぼれ、またしても逃げるか」
敵の旗じるしを見て、彼は奮迅した。黄忠の部下は、一時、鼓を鳴らし、喊声をあげ、甚だ旺んに見えたが、もろくも潰えて、蜘蛛の子のように夕闇へ逃げなだれた。
「逃げ上手め、魏の徐晃が、それほど怖ろしいか」
徐晃はわざと敵を辱《はずかし》めながら、どうかして黄忠を捕捉しようと試みたが、そのうちに、いつか背後のほうで、敵のどよめく気配がする。 はっと、驚いて、振り向くと、漢水の浮橋が、炎々と燃えているのだった。不覚不覚、退路を敵に断たれている。徐晃は急に引っ返し、全軍へ向って、
「渡渉退却!」
と喚《わめ》いたが、そのとき河原の草や木は、ことごとく蜀の兵と化し、まっ先に、趙雲子龍。うしろからは黄忠。ひとしく包囲して来て、
「ひとりも生かして帰すな」と、叫びに叫ぶ。
徐晃はようやく危地を切り抜け、ほとんど身一つで、漢水の向うまで逃げてきた。その敗戦の罪を、あたかも副将の罪でもあるかのごとく当りちらして、味方の王平へ罵った。
「なんだって足下は、おれの後詰《ごづめ》もせず、浮橋を焼かれるのを見ていたのだ。この報告は、つぶさに魏王へ申しあげるぞ」
王平は黙然と、彼の罵言《ばげん》にこらえていた。けれど彼は、その意見を異にした時から、すでに徐晃の無能を蔑《さげす》み、魏軍に見限りをつけていたものとみえて、その夜深更自分の陣地に火を放つや、ひそかに脱して漢水を越え、部下と共に、蜀へ投降してしまった。
「招かずして、王平が降《くだ》ってきたのは、われ漢水を取る前表《ぜんぴょう》である」
と、玄徳は彼を容れて、偏《へん》将軍に封じ、もっぱら軍路の案内者として重用した。
徐晃のしたまずい戦は、すべて王平の罪に嫁《か》された。曹操は、忿懣《ふんまん》に忿懣を重ね、再度、漢水を前面に、重厚な陣を布いた。
一水をへだてて、玄徳は孔明と共に、冷静にそのうごきを眺めていた。
孔明がいう。
「この上流に、七丘《きゅう》をめぐらして、一山をなしている山地があります。蓮華《れんげ》の如く、七丘の内は盆地で、よく多数の兵を匿《かく》すことができる。銅鑼《どら》鼓《つづみ》を持たせ、あれへ兵六、七百を埋伏させておけば、必ず後に奇功を奏しましょう」
「誰をやればよいか」
「万一、敵に見つかると、一兵のこらず、殲滅の憂き目にあうおそれもあれば、やはり趙雲をやるしかありますまい」
次の日、孔明はまた、べつな一峰へ登って、魏の陣勢をながめていた。この日、魏の一部隊は、渡渉してきて、しきりに、矢を放ち、鉦《かね》をたたき、罵詈を浴びせたが、蜀は一兵も出さなかった。魏兵も、より以上、軽々しく進出はしなかった。夜に入るとことごとく陣に収まり、篝火もかすかに、自重していた。
すると突然|真夜半の静寂《しじま》を破って、一発の石砲がとどろいた。銅鑼《どら》、鼓、喊呼《かんこ》などを一つにして、わあっッという声が一瞬天地を翔《か》け去った。
「すわっ、夜襲だぞ」
「いや、敵は見えぬ」
「近くもなし、遠くもない?」
上を下への騒動である。曹操は安からぬ思いを抱いて、四方の闇を見まわしていたが、彼にも何の発見もなかった。
「いたずらに騒ぐをやめよ。立ち騒ぐ兵どもを眠らせろ」
曹操も枕についたが、またまた、爆音がする。鬨《とき》の声がする、それが一体、どこでするものか、見当がつかなかった。三日のあいだ、毎晩である。曹操は士卒がみな寝不足になった容子を昼の彼らの顔に見て、
「これはいかん」
急に、三十里ほど退いて、曠野のただ中に、陣を営み直した。
孔明は笑って、
「曹操も怪《け》にとり憑かれた」といった。夜ごとの砲声や銅鑼は、もちろん上流の盆地にひそんだ趙雲軍の仕業であったこというまでもない。 四日目の夜が明けてみると、蜀の軍は、その先鋒から中軍もみな河を渡り、漢水をうしろに取って陣容を展開していた。
「なに、背水の陣をとったと」
曹操は、疑いもし、かつ敵の決意のただならぬものあるを覚って、今は、乾坤一擲、蜀魏の雌雄をここに決せんものと、
「明日、五界山の前にて会わん」と、玄徳へ戦書を送った。
戦書、すなわち決戦状である。玄徳もこころよく承知した。次の日、総軍の威風をあらゆる軍楽と旌旗に誇示しながら、蜀は前進した。 たちまち、真紅金繍の燃ゆるごとき魏の王旗を中心に、龍鳳の旗を立て列ね、堂々とあなたから迫ってくるものは、いうまでもなく魏の大軍だった。(333話)
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