この時、呉主孫権も、隣境の変に万一あるをおそれて、柴桑城(廬山、鄱陽湖の東南方)まで来ていたが、事態いよいよただならぬ形勢となったので、
「今こそ、呉の態度を迫られる時が来た。曹操についたが得策か、玄徳と結んだがよいか。ここの大方針は呉の興亡を決するものだ。乞う、そちの信じるところを忌憚なく聞かしてくれい」
呉の大賢といわるる魯粛は、孫権から直々にこう問われた。
魯粛は慎重に、孫権の諮問にこたえた。
「劉表の喪を弔うという名目をもって、私が荊州へお使いに立ちましょう」
「……そして?」
「帰途ひそかに江夏へおもむき、玄徳と対面して、よく利害を説き、彼に援助を与える密約をむすんで来ます」
「玄徳を援助したら、曹操は怒って、いよいよ鋭鋒を呉へ向けてくるだろう」
「いや、ちがいます。玄徳の勢いが衰退したので、曹操はたちまち呉へ大軍を転じて来たものです。故に、玄徳が強力となれば、背後の憂いがありますから、曹操は決して、思い切った侵攻を呉へ試みることはできません」
魯粛は、なお説いて、
「私がお使いに立てば、それらの大策の決定は後日に譲るまでも、とにかく荊州から江夏にわたる曹操、玄徳、両方の実状をしかとこの眼で見てくるつもりです。それも重要な前提ですから」
と、いった。
呉の国のうごきは今、呉自身の浮沈を決する時であると共に、曹操の大軍にも、江夏の玄徳の運命にも、こうして重大な鍵をもっていた。
江夏の城中にあっても、その事について、度々、評議するところがあったが、孔明はいつも、
「呉は遠く、曹は近く、結局われわれの抱く天下三分の理想――すなわち三国鼎立の実現を期するに
は、あくまで遠い呉をして近い曹操と争わせなければなりません。両大国を相搏たせて、その力を相殺させ、わが内容を拡充する。真の大策を行うのはそれからでしょう」
と、至極、穏当な論を述べていた。
「だが、そううまく、こちらの望みどおりにゆけばよいが?」
と、これは、玄徳だけの懐疑ではない。誰しも一応はそう考える。
これに対して、孔明は、
「ごらんなさい。今にきっと呉から使者が来るにちがいありません。然るときは、わたくし自身、一帆の風にまかせて、呉国へ下り、三寸不爛の舌をふるって、孫権と曹操を戦わせ、しかも江夏の味方は、そのいずれにも拠らず、一方のやぶれるのを見てから、遠大にしてなお万全な大計の道をおとりになるようにして見せます。――戦わば必ず勝つ戦いを戦うこと、三歳の児童も知る兵法の初学です」
――こう聞いても、人々はなお釈然となれなかった。むしろ不安にさえなった。
「孔明は何か非常な奇蹟でもあらわれるのをそらだのみにして、あんな言を吐いているのではないか」
そう思われる節がないでもないからである。
ところが、その奇蹟は、数日の後、ほんとうに江夏を訪れて来た。
「呉主孫権の名代として、故劉表の喪を弔うと称し、重臣魯粛と申される方の船が、いま江頭に着きました」と、いう知らせが、江岸の守備兵から城中へ通達されてきたのである。
「どうして軍師には、この事あるを、ああはやくからお分りになっておられたのか?」
ざわめく人々の問いに、孔明は、
「いかに強大な呉国でも、常勝軍と誇る曹兵百万が、南下するに会っては、戦慄せざるを得ないにきまっている。加うるに呉は富強ではあるが実戦の体験が少ない。境外の兵備の進歩やその実力をはかり知っておらぬ。――で、ひとまずは、使者を派して、君玄徳を説きつけ、あくまで曹操の背後を衝かせておくの策を考えるものと私は観た」と語り――また劉琦をかえりみて、呉の孫策が死んだ時、荊州から弔問の使者が会葬に行ったか否かをたずねて、劉琦がその事なしと答えると、
「それごらんなさい。呉と荊州とは、累代の仇。今それをも捨てて使者をよこしたのは、喪を弔うの使いではなく、実は虚実をさぐるための公然たる密命大使であることが、その一事でも明らかでしょう」と、笑って説明した。
やがて魯粛は賓閣へ迎えられた。彼は、劉琦に弔慰を述べ、玄徳には礼物を贈って、
「呉主孫権からも、くれぐれよろしく申されました」
と、まずは型の如き使節ぶりを見せた。
後、後堂で酒宴となり、こんどは玄徳から遠来の労をねぎらった。
魯粛は、酔い大いに発すると、玄徳へ向ってずけずけ訊ね出した。
「あなたは年来、曹操から眼の仇にされて、彼と戦いをくり返しておいでだから、よくご存じであろうが――いったい曹操という者は、天下統一の大野心を抱いているのでしょうか、それとも慾心はただ自己の繁栄に止まっている程度でありましょうか」
「さあ? ……どうであろう」
「彼の帷幕ではいま、誰と誰とが、もっとも曹操に用いられておりましょうな」
「よく知らぬが」
「では――」と、はたたみかけて、
「曹操の持つ総兵力というものは、実際のところ、どのくらいでしょう」
「その辺も、よくわきまえぬ」
何を問われても、玄徳は空とぼけていた。これは孔明の忠告によるものだった。
魯粛は少し色をなして、
「新野、当陽そのほか諸所において、曹操と戦ってきたあなたが、敵について、何の知識もないわけはないでしょう」と、詰問ると、玄徳はなお茫漠たる面をして、
「いや、いつの戦いでも、こちらは、曹操来ると聞けば、逃げ走ってばかりいたので、くわしいことはまったく不明です。ただ孔明なら少しは心得ているであろうが」
「諸葛亮はどこにおられますか」
「いま呼んでおひきあわせ致そうと考えていたところだ。誰か、孔明を召し連れてこい」
玄徳の命に一人が立ち去って行くと、やがて孔明も姿をあらわして、物やわらかに席に着いた。
「亮先生。――自分は先生の実兄とは、年来の親友ですが」と魯粛は、個人的な親しさを示しながら、彼に話しかけた。
「……ほ。兄の瑾をよくご存じですか」と、孔明もなつかしげに瞳を細めた。
「されば、このたびの門出にも、お会いしてきました。何やらお言伝でも承って参りたいと存じたが、公のお使い、わざと差し控えてきましたが」
「いや、余事はおいて、時に、わが主玄徳におかれては、かねてより呉の君臣に交友を求め、相たずさえて曹操を討たんと欲しられていますが、貴下のお考えでは如何であろうか」
「さあ、重大ですな」
「自惚れではありませんが、呉もまたわれわれと結ばなければ、存立にかかわりましょう。もしわが主玄徳が、一朝に意気地を捨てて、曹操につけば、これ自己の保身としては、最善でしょうが、呉にとっては脅威でしょう。南下の圧力は倍加するわけですから」
ことばは鄭重だがその言外に大国の使臣を強迫しているのである。魯粛は恐れざるを得なかった。孔明のいうような場合が実現しない限りもないからである。
「自分は呉の臣ですが――劉皇叔のために――個人としてここだけのことをいえば、貴国の交渉如何によっては、わが主孫権も決して動かないことはなかろうと信じられます。ただ、その使節は大任ですが」
「では、脈があるというわけですな」
「まあ、そうです。幸い、亮先生の兄上は、呉の参謀であり、主君のご信頼もふかいお方ですから、ひとつ先生自身、呉へ使いされたらどうかと思いますが」
そばで聞いていた玄徳は顔のいろを失った。呉の計略ではないかと考えたからである。魯粛がすすめれば勧めるほど、彼は許す気色もなかった。
孔明は、なだめて、
「事すでに急を要します。信念をもって行ってきます。どうかお命じください」
と、再三、許しを仰いだ。
そして数日の後には、ついに魯粛と共に、下江の船に乗ることを得た。(215話)
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