中国四大奇書のなか『三国志演義』と『水滸伝』の           基本的な違いは? |  今中基のブログ

 三国志は、西暦184年頃から280年までの100年間 約1世紀に亘る話です。
一方、水滸伝は、西暦1100年頃から、約20年前後の時代を舞台にしています。
時代としては、900年もの隔たりがあり、時間のスパンでいくと、三国志は100年間に亘っての歴史に基づいた実話、対して水滸伝は20年間それも全くのフィクションとして書かれた小説ということになります。



 三国志の前半は劉備玄徳、後半は諸葛亮孔明を中心として話が展開します。
本ブログ2017-06-21号に掲載の曹操をはじめ、孫権、周瑜 というようなライバルは、主として劉備や孔明に絡む時に登場する脇役の扱いです。例えるなら三国志は、前半は劉備玄徳、後半は諸葛亮孔明の大河ドラマと言ってよいでしょう。
 一方の水滸伝は、複数の主人公(物語では好漢と呼ばれる108名)の物語が、様々な視点で語られて、最終的には一つの目的に、結集していくというオムニバス形式(映画・演劇・文学などで、いくつかの独立した短編を集め、全体として一つの作品となるように構成したもの)になっています。

 水滸伝の主役は一応、宋江(そうこう)という好漢なのですが序盤は影が薄く、むしろ、林沖(りんちゅう)史進(ししん)武松(ぶしょう)楊志(ようし)魯智深(ろちしん)阮兄弟(げんきょうだい)のような好漢(こうかん)達が、主役を喰うような大活躍をしています。
 三国志におけるラスボスというのは、主人公劉備、孔明の立場と時代によって変遷していきます。当初のボスは、黄巾賊(こうきんぞく)ですが、それが、菫卓(とうたく)に変わり、次には曹操に変わり、曹操の死後は、司馬懿(しばい)に変化します。
 また、曹操や菫卓は、黄巾賊討伐では、官軍側という括りの劉備の仲間ですが、時代が進むと敵対していきます。三国志は100年の物語なので、後半と前半では、登場人物がすっかり入れ変わってしまうのです。

 一方の水滸伝ですが、こちらの大ボスは高俅(こうきゅう)という男で、時の皇帝、徽宗(きそう)に取り入り金権政治を ほしいままにする大悪党です。
高俅は、四奸と言われる、蔡京(さいけい)、童貫(どうかん)、楊戩(ようせん)、という、悪徳役人の一人であり、水滸伝の好漢達の運命を狂わす仇役で、水滸伝は、この高俅を斬って、操られる徽宗皇帝を救うというような筋立てになっています。
これは、物語を通じて、全く変化しません。
  「水滸伝」』---水のほとりの物語』 ---は、今から五百年ほど昔、今日のような形にまとめ上げられた 中国の代表的な小説です。宋江以下百八人の好漢が梁山泊を根城に、弱きを助け強きをくじく、血わき肉おどる大活躍をする豪快無比な物語で、中国はもとよりわが国でも古くから多くの人々に親しまれて来ました。



 三国志は、劉備や孔明を称えるべく、史実を多少曲げた部分のある歴史小説ですが、概ね歴史に沿って物語が展開します。張角や孔明は、風を起こしたり火を起こしたり超人的な働きをしますが、まあその程度の脚色はあってもいいでしょう。
 一方 水滸伝は、そもそも好漢達の前世が人間ではないのです。総勢、108名いる彼等主人公は、唐の時代に世を騒がして封印された108星の魔王が転生した姿です。
 ただ、転生した北宋の時代が、あまりにも乱れていたので、魔王達は逆に世直しをする羽目になるという逆説になっています。妖術の度合いも三国志とは比較にならない大袈裟なものです。
 例えば、高廉(こうれん)という悪徳道士は、紙から兵士を造りだすというスーパー妖術を繰り出す人物像だし、また味方の道士である公孫勝(こうそんしょう)は、風雨を呼び雷を落とし、龍や鳳凰や神兵と呼ばれる兵士を召喚して戦うなど、時空をこえた超文明的な大活躍をします。



 戴宗(たいそう)という好漢は、足にお札を張りつけて走ると、1日に800里を走ることが出来ると

いう超能力を持ちます。中国の1里は500メートルなので戴宗は1日に400キロメートルを走ることが出来るのです。
 水滸伝の主人公達が拠点にする梁山泊は、12世紀には実在し、その首領も宋江という名前でしたがその実話でもなく、それ以外の好漢達の活躍も全くの創作です。
 三国志演義には、フィクションはありますが歴史をねじ曲げる訳にはいかないので、劉備と孔明が興した蜀漢(しょく・かん)は、魏を継承した晋によって滅ぼされます。
 でも読者は、一介の農民から身を起こした劉備が、漢室の血筋を継ぐという目的だけを誇りに関羽や張飛たちと、真面目に頑張ったことに喝采を送ります。


 一方の水滸伝ですが、こちらの方は理不尽だらけです。水滸伝の好漢たちは、奸賊高俅を斬り、乱れた世の中を救うという大義の下に集まるのですが、皇帝を敬う気持ちが篤い元下級役人出身の首領宋江の個人的な思いのせいで大義は暗転します。
 梁山泊の賊が討伐できない程に強大になった事を恐れた高俅や、蔡京は、計略を用いて、梁山泊軍を官軍に抱きこもうとします。そこで皇帝の名義で朝廷に帰順する事を宋江に要請すると、役人だった時代に未練がある宋江は、これをあっさり受諾。


 猛反対する仲間達を抑えて、あれほど斬りたいと思っていた四奸、高俅、童貫、蔡京の下で反乱軍や、異民族の討伐にいいようにこき使われて、ドンドン仲間が死んでいくのです。


 最期まで残った、宋江や子飼いの李逵(りき)のような好漢も、皇帝からの下賜品と騙された毒酒を飲んで死亡、残った好漢達は散りぢりバラバラになり、ほどなく、北宋も北方の女真族の国家である「金」に侵攻されて、滅亡し南に逃れて南宋を興します。
 読者の大半は、「こりゃー なんたることだ!!」と憤慨します。あまりに理不尽過ぎる最期に好漢に感情移入した分だけ、怒りも頂点に到達してしまうのです。
 あまりの理不尽さに、水滸伝には、好漢108星が、梁山泊に集った所で、エンディングになる話もある位です。衰亡して滅んでいくだけの後半をバッサリ切っているわけです。
 以上が、ざっと上げた三国志演義と水滸伝の違いです。
同じ歴史を舞台にしていても、これだけ毛色が違う両者、読み比べて、違いを楽しむのも面白いでしょう。<次週は水滸伝につい考察することにします>。