ビルゲイツも読んでいると言われる《孫子の兵法》は今から2500年も前に書かれた(竹簡)である。 |  今中基のブログ

春秋時代の武将 孫武がこの兵法書『孫子』の作者とされており、兵家の代表的人物。斉国出身。字は長卿。孫臏の先祖にあたる。 「孫子」は尊称。

「戦わずして勝つ」という戦略思想、戦闘の防勢主義と短期決戦主義、またスパイの重要視など、軍事研究において戦略や戦術、情報戦など幅広い領域で業績を顕し、ベイジル・リデル=ハート、毛沢東など、現代の軍事研究者、軍事指導者だけではなくその思想は航空技術や核兵器など、さらにマーケティング戦略など古代に想定できなかった先端技術の発展した現代においても有効性を失わず、今なお研究対象とされている。 



『孫子』(そんし)は、紀元前500年ごろの中国春秋時代の軍事思想家孫武の作とされる兵法書。武経七書の一つ。古今東西の兵法書のうち最も著名なものの一つである。紀元前5世紀中頃から紀元前4世紀中頃あたりに成立したと推定されている。

『孫子』以前は、戦争の勝敗は天運に左右されるという考え方が強かった[1]。孫武は戦争の記録を分析・研究し、勝敗は運ではなく人為によることを知り、勝利を得るための指針を理論化して、本書で後世に残そうとした。
以下の13篇からなる。 


計 篇 - 序論。戦争を決断する以前に考慮すべき事柄について述べる。
作戦篇 - 戦争準備計画について述べる。
謀攻篇 - 実際の戦闘に拠らずして、勝利を収める方法について述べる。
形 篇 - 攻撃と守備それぞれの態勢について述べる。
勢 篇 - 上述の態勢から生じる軍勢の勢いについて述べる。
虚実篇 - 戦争においていかに主導性を発揮するかについて述べる。
軍争篇 - 敵軍の機先を如何に制するかについて述べる。
九変篇 - 戦局の変化に臨機応変に対応するための9つの手立てについて述べる。
行軍篇 - 軍を進める上での注意事項について述べる。
地形篇 - 地形によって戦術を変更することを説く。
九地篇 - 9種類の地勢について説明し、それに応じた戦術を説く。
火攻篇 - 火攻め戦術について述べる。
用間篇 - 「間」とは間諜を指す。すなわちスパイ。敵情偵察の重要性を説く。


 上記の篇名とその順序は、1972年に中国山東省臨沂県銀雀山の前漢時代の墓から出土した竹簡に記されたもの(以下『竹簡孫子』)を元に、 竹簡で欠落しているものを『宋本十一家注孫子』によって補ったものである。

『竹簡孫子』のほうが原型に近いと考えられており、 『竹簡孫子』とそれ以外とでは、用間篇と火攻篇、虚実(実虚)篇と軍争篇が入れ替わっている。
全般的特徴としては
非好戦的 - 戦争を簡単に起こすことや、長期戦による国力消耗を戒める。この点について 老子思想との類縁性を指摘する研究もある。「百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」(謀攻篇)
現実主義 - 緻密な観察眼に基づき、戦争の様々な様相を区別し、それに対応した記述を行う。「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」(謀攻篇)
主導権の重視 - 「善く攻むる者には、敵、其の守る所を知らず。善く守る者は、敵、其の攻むる所を知らず」(虚実篇)



戦争観
 孫子は戦争を極めて深刻なものであると捉えていた。それは「兵は国の大事にして、死生の地、存亡の地なり。察せざるべからず」(戦争は国家の大事であって、国民の生死、国家の存亡がかかっている。よく考えねばならない)と説くように、戦争という一事象の中だけで考察するのではなく、あくまで国家運営と戦争との関係を俯瞰する政略・戦略を重視する姿勢から導き出されたものである。それは「国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ」、「百戦百勝は善の善なるものに非ず」といった言葉からもうかがえる。
 また「兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり」(多少まずいやり方で短期決戦に出ることはあっても、長期戦に持ち込んで成功した例は知らない)ということばも、戦争長期化によって国家に与える経済的負担を憂慮するものである。この費用対効果的な発想も、国家と戦争の関係から発せられたものであると言えるだろう。孫子は、敵国を攻めた時は食料の輸送に莫大な費用がかかるから食料は現地で調達すべきだとも言っている。
 すなわち『孫子』が単なる兵法解説書の地位を脱し、今日まで普遍的な価値を有し続けているのは、目先の戦闘に勝利することに終始せず、こうした国家との関係から戦争を論ずる書の性格によるといえる。
戦略
 『孫子』戦略論の特色は、「廟算」の重視にある。廟算とは開戦の前に廟堂(祖先祭祀の霊廟)で行われる軍議のことで、「算」とは敵味方の実情分析と比較を指す。では廟算とは敵味方の何を比較するのか。それは、
道 - 為政者と民とが一致団結するような政治や教化のあり方
天 - 天候などの自然
地 - 地形
将 - 戦争指導者の力量
法 - 軍の制度・軍規
の「五事」である。より具体的には以下の「七計」によって判断する。
1.敵味方、どちらの君主が人心を把握しているか。
2.将軍はどちらが優秀な人材であるか。
3.天の利・地の利はどちらの軍に有利か。
4.軍規はどちらがより厳格に守られているか。
5.軍隊はどちらが強力か。
6.兵卒の訓練は、どちらがよりなされているか。
7.信賞必罰はどちらがより明確に守られているか。
以上のような要素を戦前に比較し、十分な勝算が見込めるときに兵を起こすべきとする。



孫子の兵法は以下の7つに集約される。


1.彼を知り己を知れば百戦して殆うからず。
2.主導権を握って変幻自在に戦え。
3.事前に的確な見通しを立て、敵の無備を攻め、その不意を衝く。
4.敵と対峙するときは正(正攻法)の作戦を採用し、戦いは奇(奇襲)によって勝つ。
5.守勢のときはじっと鳴りをひそめ、攻勢のときは一気にたたみかける。
6.勝算があれば戦い、なければ戦わない。
7.兵力の分散と集中に注意し、たえず敵の状況に対応して変化する。


■ 「孫子」は……古今のリーダーに啓示を与える必読の書といえる。
 まとめるといかのようになる。
 「孫子」はいまからおよそ2500年前、中国古代(春秋時代)に生まれた
戦いの書、戦争の理論書――。
 著者は諸説あったが、最近の研究では孫武に落ち着いている。


 当然のことながら、「孫子」が時代を超えて読み継がれ、さらに西洋など、異なる文化圏にまで支持されているというのは、その言わんとするところが、いつの時代にも、人間の行いの所産としての政治、外交、ビジネス、人間関係のすべてに通じているがゆえのこと。

 事実、「孫子」から歴史上の、そして現代のリーダーたちが多くの啓示を受けてきた例は、数多く紹介されている。
ナポレオンはフランス人宣教師の訳した「孫子」を多忙な戦陣にあっても片時とも手放そうとしなかったそうである。
独皇帝ヴィルヘルム2世は第1次世界大戦に破れ、亡命先のロンドンで初めて「孫子」を手にし、次のような悔恨の言葉を残している。
「もし私が、20年前にこの書を得ていたならば、あのような惨敗は免れていただろう」と。
 現代の中国、中華人民共和国を建国した毛沢東もまた、「孫子」を座右の書とし、抗日戦と国共内戦とに勝利したのだという。
日本において「孫子」を中国から初めて持ち帰ったのは8世紀の遣唐使、吉備真備と言われている。
以来……、中国においても「家ごとに孫呉(孫子と呉子、どちらも兵法書)の書を蔵す」(「韓非子」)と言われ勿論よく読まれてきたのだが、日本においても本家中国に遜色がないほど読まれ、例外なく武将の必読書となった。

武田信玄の旗印「風林火山」も「孫子」の一節からとられたもの。
徳川家康が官版「武経七書(代表的な7つの兵法書、全集のようなもの)」を刊行させたことが契機になって、江戸時代には儒者が競って注釈を書いています。


【意外と知らない?】孫子の兵法を読んだ偉人達!曹操や孔明のような古代の武将は当然だが、現代のIT時代を拓いたビルゲイツも愛読しているという。
 人生や経営に役立つ名言が詰まったこの兵法書はナポレオン, 劉備, 呂蒙,黒太子, 諸葛亮孔明, 関羽, 張飛, 馬謖, 魏武注孫子, 武田信玄, 徳川家康, 東郷平八郎, 山本五十六, 毛沢東,などは勿論ですが、なんとキューバのフィデル・カストロまでとは驚きです。


 三国志に書かれているように孫子の兵法は諸葛亮によって、活用されています。

次週は諸葛亮孔明について三国志演義などから考察することにします。