踏まれた足 | セセデブログ

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アンニョンハシンミカ?

崔です。今日もよろしくお願いいたします。

 

 先日、在日本朝鮮人権協会の性差別撤廃部会の方々が主催されている2018年連続講座の第1回「排外主義とセクシュアリティを考える」に参加しました。

 

 「自分が踏まれている足で他の誰かを踏んではいないか」

 この事を深く考えさせられる講座でした。

 

 一つの差別に反対しているからと言って他の差別にも同じように敏感であると安易に信じることの危険さについても学びました。例えば同性パートナーを認める自治体が一方ではホームレスの方たちを公園から排除していることもこの一例として話されました。

 

 昔から朝鮮学校へ通い、右翼が授業中に校舎の周りを大声を出して走り回ったり、自分が毎朝通う会館に銃が撃ち込まれたり、朝鮮人として感じる差別には敏感だったかも知れませんが、他の偏見や差別について自分の問題として捉えられていただろうかと考え直すきっかけとなったのです。また、自分を「在日朝鮮人3世です」とは自己紹介するかもしれないけれど、「シスジェンダーです」と紹介することは少ないかもしれないと例をあげていた発言者に倣い、自分のなかにもマジョリティー、加害の側に居ることへの無自覚があったのではないかと気付かされました。

 

 他にも、現在は受け入れられやすいものは認め、そうでないものは認めないという、差別される側にもうひとつの差別を生むような現象も起きていると知りました。まるで「『韓国』はよくて北朝鮮は悪い」という感覚のようだなと思いました。

 

 今回の講座を機に、胸が痛くなりそうでも自分の足元にもしっかり目を向けていこうと改めて思いました。今後も学び続けようと思います。

 

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

 今日も一日、本当にお疲れさまでした。