水と油 | セセデブログ

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っていう言葉がある。


決して交わらず、混ざり合わない。


人で言うなら根本的に「合わない」ということ。


確かに自分の周りでもそういう関係にある人たちはいると思う。


性格やノリ、要は「周波数」ってやつが合わない関係性。


そもそも発している波数が違うなら、互いにチューニングできない。


けど、それは周波数が一つの場合なのかも。


どんな周波数にもうまくチューニングできる人が「世渡り上手」ってやつなのかも。


確かに第一印象を持った時点で判断するところは多い。


「なんか合わないな~この人ダメだな~」みたいな。


気のせいかと思い頑張ってみても、「やっぱり無理だ」。


でも努力の仕方次第で変化を望める可能性はゼロではないと信じてみてもいいのかも。


「合わない」とか「嫌い」と思った人から、自分が嬉しいことを言われたり、行動されたりしたらどうだろう?


人によっては、「さらに余計むかつく」となるかもしれないけど、もともと印象がよくないからこそ、それ以上のマイナスもなく、そのふり幅によって「もしかしたら合うかも」とふつう以上に好感が倍加することもあるかもしれない。


今までの自分の印象は先入観に過ぎなかったと反省するかも。


水と油も、決して分かり合えない関係性の象徴として使われてるけど、水と油が100パーセント混ざらないわけではない。


確かにコップに入れた水に油を足せば、水が濁るわけでもなく、分離したまま。


しかし、手を加える(詳しい工程は知らないけど)ことによって水と油は混ざり合うだけでなく、ミラクルを生む。


水と油の合わさったもの?


ご存じ、石鹸である。


水だけで落とせる汚れには限界があるし、油はどちらかといえば汚すほうのもの。


それが合わさった時、何よりも汚れを落とす、石鹸が生まれてしまうのである。


相反するものが奇跡的に融合したことで、それぞれでは決して生み出すことができない成果を生む。


すごく面白い。


いや逆に、相反するものだからこそ、想像以上の結果を生むのかも。


ポカリスエットとアクエリアスを混ぜても味は想像つくし、コーラは絶対生まれない。