月刊オートバイ”誌の読者売買欄にそいつはあった。

『ホンダスポーツカブ50、年式不明、機関良好、外観中、12,000円、価格応談、要電話連絡、住所:○○○』住所は俺の家のすぐ近くだった。オヤジに毎晩泣きついて俺の最初の一台になった。売主はどう見ても胡散臭いセミプロのような男だった。本当はCS115Sなんで55ccなんだけど、原付登録してあるんで原付としても大丈夫とのことだった。

鋼板プレスのTボーンフレームはスカイブルー、そしてメッキタンクにはニーグリップラバーとウィングマークが誇らしげに羽ばたいていた。そしてカブなのに良くわからない一文字ハンドルにアップマフラー。確かに“スポーツ風”のカブだった。

生まれて初めてのバイクだ。嬉しくて嬉しくて毎日磨いて乗った。何しろクラッチが何かもよくわからないで、手当たり次第にカタログを集めて回った。もちろん、俺のスポーツカブはカタログ落ちで、雑誌をめくってもどこにも載ってなかった。初めて乗ったクラッチ付きの“ブリジストン80”に振り落とされそうになった年の瀬に、ついにヤマハのAT1を手に入れた。それから忘れられたスポーツカブは庭の片隅で埃をかぶった。

しばらくして同級生の中野からスポーツカブを貸してくれと言われ、何も考えずに貸した。一年ほど経ったある日、突然中野から2,000円とナンバープレートを渡された。聞けば、私に聞かずに動かなくなったスポーツカブをクズ屋に売ったそうだ。

突然のスポーツカブとの別離だった。2国で風になる喜びを教えてくれたスポーツカブ。やっぱり初めての別離は悲しかった。

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