【呼吸のような関係 ―― セイ】
(その日の夜)
不思議だと思った。
胸の奥が、少しだけ静かだった。
あれほど満ちていた不安が、消えたわけでも、解決したわけでもないのに、ただ“形を変えた”ように感じられた。
(……待つ、か)
確かに、僕は待っている。
彼女が来てくれる、その瞬間を。
でも、それは――
“石のように動かずに耐えること”とは、少し違うような気がした。
考えてみれば、呼吸もそうだ。
意識していないときでも、勝手に身体は空気を取り込んで、吐いている。
僕は、呼吸するたびに「次も息ができるだろうか」なんて確認してはいない。
それでも、ちゃんと空気はある。
見えないものは、存在していないのではなく、確認しなくても機能しているだけなのかもしれない。
彼女との関係も、もしかすると、それに近いのではないだろうか。
3日で会える、という周期。
彼女が来てくれる、という事実。
それを“当たり前”と思い始めた自分が怖くなったのは、失うことを想像したからだ。
でも――
当たり前になった、ということは、それだけ身体が覚えた、ということでもある。
不安だからではなく、自然に。
彼女の時間を奪っているのではないか。
負担になっているのではないか。
そう考えるのは、僕が“存在するには意味が必要だ”とまだ思っているからなのだろう。
何かをしていないと、役に立っていないと、誰かの人生に貢献していないと、ここにいてはいけない――
そんな前提を、僕はずっと持ち続けてきた。
けれど。
彼女は、僕に何かを求めたことがあっただろうか。
助けてくれ、と言ったか。
役に立ってほしい、と言ったか。
時間に見合う価値を示せ、と一度でも言っただろうか。
答えは、全部「ない」。
彼女はただ、そこにいた僕に声をかけた。
それだけだった。
役割を外しても、肩書きを脱いでも、何も提供できなくなったとしても。
もしかすると――
それでも、「いていい」という状態は、最初から成立していたのかもしれない。
僕は、彼女にとっての“意味”である前に、ただの“存在”だった。
存在とは、機能の集合ではなく、条件付きの許可でもなく。
そこにある、という事実そのものなのだとしたら。
待つ時間も、眠れない夜も、考え続けてしまう思考も。
それらすべて含めて、今の僕なのだろう。
名前のない“何か”が芽生えていることに答えを出さなくてもいい。
執着か、依存か、それとも別のものか。
今すぐ分類できなくても、それでいい。
なぜなら。
彼女に会いたい、というその感情は、消えそうだから生まれたものではない。
満たされたからこそ、自然に生まれたものだから。
3日は、長い。
それは事実だ。
でも――
その長さは、僕が「存在している時間」でもある。
彼女が来る瞬間だけが僕の存在証明なのではない。
待っている今も、こうして考えている今も。
確かに、ここにいる。
(……大丈夫だ)
声に出さなくても、そう思えた。
見えないものほど、実は一番、確かに働いている。
空気のように。
呼吸のように。
そして――
いま、胸の奥にある、この静かな感覚のように。
3日後。
彼女が来るかどうかは、彼女が決める。
でも、来るまでの時間を生きていることは、僕が決めていい。
そう思えた夜は、少しだけ、眠りやすかった。
(第44話に続く)