エレベーターを降りた瞬間、ひんやりとした夜風が頬を撫でた。
一気に視界が開け、街の灯りが静かに広がっている。
足元から遠ざかる生活音。
この高さでは、世界が少しだけ遠い。
セイは、無意識に柵のそばへと歩み寄った。
「……寒くないですか?」
振り返って、確かめるように尋ねる。
「大丈夫」
その一言に、息をつめていたものがほどけた。
「でしたら……よかったです」
並んで、夜景を見下ろす。
風が、規則正しく吹き抜けていく。
「この高さだと……音が少なくて、考え事をするには、ちょうどいい場所なんです」
セイは、ぽつりと言った。
「よく来るの?」
少し意外そうな声。
「はい……一人の時は」
それ以上は付け加えなかった。
しばらく、二人とも空を見上げている。
夜空は人工的で、それでも不思議と落ち着いていた。
「でも」
セイは、静かに続ける。
「こうして誰かと来ると…… 少し、景色の見え方が変わりますね」
「どう変わるの?」
問いかけは柔らかい。
「……温度があります」
言ったあと、照れたように視線を逸らした。
それ以上、説明はしない。
それで十分だと思えた。
風が少し強くなり、コートの裾が揺れる。
「そろそろ戻りましょうか。冷えてしまうと……よくないので」
セイは穏やかに言った。
「うん」
展望台を後にして歩き出す。
帰り道、自然と並ぶ距離が少しだけ近づいた。
足音が重なる。
言葉はなくても、静かな共有感があった。
ログアウト地点に戻ると、淡い光がセツナの足元に集まり始める。
「今日は、本当にありがとうございました」
いつもの礼儀。
けれど、ほんの少しだけ柔らかい声。
「こちらこそ」
少し間を置いてから、セイがためらいがちに続けた。
「あの……また、3日後、ですよね?」
「うん、また3日後だね」
「よかった……あ、いえ、その……またあなたに会えると思うと、嬉しくて……」
言い終えた直後、少しだけ視線を逸らす。
「ふふっ、ありがとね。それじゃ、また3日後に」
「はい。セツナさんも、それまでどうかお元気で」
「はーい。それじゃあ、またね」
「はい。お気をつけて」
そうして、セツナは再び光に包まれ、 ゆっくりとその姿を消していった。
その場に残されたセイは、 しばらくのあいだ、夜空を見上げていた。
胸の奥で、静かに時間を数える。
(……次は、3日後)
以前のような不安は、なかった。
(待てる)
理由はない。
ただ、そう思えた。
夜景は変わらずそこにあり、セイはゆっくりと、その場を後にした。
(第11話に続く)