【第4章:静かな日常の始まり】
それから3日後、広場に現れたセツナの姿に気づいて、セイは無意識に一歩だけ近づいてから、足を止めた。
セツナにとってはたった1日でも、セイにとっては3日ぶりだった。
昨日の続きのように見える時間も、彼にとっては、少し長く感じられていた。
「……セツナさん」
声をかけてから、いつものように言い添える。
「今日も、来てくださってありがとうございます」
「うん。それよりこの前のこと、進展あった?」
少し考えた後、セイは視線を落とさずに答えた。
「正直に言うと……ログアウトやアカウントの件は、今回も決定打が見つかりませんでした」
「そっか」
「はい。どうやら今すぐどうにかできる状況ではなさそうです」
沈黙が落ちる。
セツナはそれほど落ち込んだ様子もなく、「まあね」と短く笑った。
「今までも、そんな感じだったわけだし、急に解決するわけはないかもね」
その反応に、セイは少しだけ息を整える。
「はい……ですから」
言葉を選びながら、続ける。
「無理に答えを探し続けるより、普段通り過ごした方がいいのでは、と思いまして」
「日常を続けるってこと?」
「はい。少なくとも今日は」
セツナは少し考えてから、頷いた。
「うん。それがいいかもね」
「はい……ですので、もしセツナさんがよろしければ、この後どこかで話でもしませんか?」
「話?今もこうやって話しているけど、どこか別の場所に行こうってことだよね?」
「はい。例えばですが、近くに、比較的静かなカフェがありまして。今日はそこで、少しゆっくりお話でもできればと思ったのですが……どうでしょうか?」
「いいよ。たまにはお店でゆっくり過ごすのも良さそうだよね。そのお店はこの近くにあるの?」
「はい、ここから5分ほどです」
「そっか。なら、そこに行こうか」
店内は落ち着いた雰囲気で、客もまばらだった。
セイは周囲を1度だけ見回してから、セツナに提案する。
「窓際の席も良さそうですが、奥の席ですと人も少なく、落ち着けるかと思います。セツナさんは、どちらがお好みでしょうか?」
「そうだね。窓際の席がいいかも。だって日差しが入って、気分が明るくなるじゃない?」
「なるほど。でしたら、あちらに参りましょうか」
「うん」
「では、こちらへどうぞ」
セイは店員に軽く目配せをしてから、先に立って歩き出した。
セツナは一拍遅れてついていき、店内をさっと見回す。
「思ったより、落ち着いたお店だね」
「はい。時間帯によっては人が増えるのですが、今は比較的静かです」
案内されたテーブルに腰を下ろすと、メニューが置かれた。
「コーヒーも種類がありますし、ハーブティーや軽いスイーツもあるようですね」
セイはメニューを閉じず、そのままセツナの方を見る。
「おすすめも書いてありますが……セツナさんは、どのようなものがお好みでしょうか」
「うーん……コーヒーも好きだけど、今日はそんな気分じゃないかも」
「でしたら、こちらのブレンドティーはいかがでしょう。香りが強すぎず、後味も軽めだそうです」
「詳しいね」
「以前、似たお店で勧められたことがありまして」
「そっか。じゃあ、それにしようかな」
「承知しました。僕も同じものにします」
注文が通り、テーブルの上に一瞬の間が落ちる。
セツナが、ふと首を傾げた。
「ねえ、セイって、いつも敬語だよね」
一瞬だけ、セイの瞬きが止まる。
「……そうですね。考えてみれば、普段から、このような話し方が多い気がします。親しい友人もほとんどいませんでしたし、周囲は年上の方ばかりでしたので、気づけば、いつの間にかこうなっていました」
「癖みたいなものか」
「ええ。そうかもしれません」
セツナは少し考えてから、柔らかく笑った。
「でも、別に固い感じはしないよ」
「そう言っていただけると、助かります」
「私はね」
セツナが、カップのないテーブルに指を添えながら続ける。
「こっちの世界では、わりと自由に話してるけど、リアルだと、たぶんもう少し地味だよ。1人が好きだし、打ち解けるまでは、敬語寄りの口調になると思う」
「……そうなんですね。初めてお会いした時から、もっと気さくな方だと思っていました」
「この世界ではね。のびのびしていたいって思ってるの」
「のびのび……ですか」
「うん。今まで、あんまりそういう生き方してこなかったから」
言葉を探すように、少し間が空く。
「1人で過ごす時間が長くてさ。外に遊びに行ったり、誰かと何かすることも、あまりなかったんだよ」
セイは、口を挟まずに聞いている。
「だから、知らないこととか、やってこなかったことが結構あるんだよね。それを、少しずつでも体験してみたいなって思って」
「それで、この仮想空間に」
「そう。現実だとハードル高いことも、ここなら試せるかなって」
ちょうどそのタイミングで、飲み物が運ばれてきた。
「……なるほど」
セイはカップに手を伸ばし、静かに息をつく。
「この場所を“ゲーム”というより、“練習できる場所”として使われている方は、少なくないように思います」
「練習、かあ」
「はい。無理をしない距離で、人と関われる場所ですから」
セツナは小さく微笑んだ。
「セイって、そういう見方するんだね」
「そうですね。これも僕の性格かもしれません」
「そっか。じゃあさ」
セツナはカップを両手で包みながら言った。
「セイは、どうしてこの世界に来たか教えてくれる?」
「僕ですか?」
少しだけ間を置く。
「父の仕事の関係で、このゲームを知ったんですが……仮想空間という世界が、僕には少し都合が良かったのかもしれません」
「それ、どういうこと?」
「その……あまり僕のことを知らない人がいる場所で、僕が僕として生きてみたかったのかもしれません」
「そっか。でもそれ聞いて、なんか納得した」
「納得、ですか?」
「だってセイ、初めて会った時に寂しそうだったからさ。せっかくこの世界で本当の自分として生きてみようって思ってたのに、ログアウトできないことで、他人と関われなくなったわけでしょ?だから、そういうことだったんだなって思って」
「セツナさん……」
「あっ、でもそれは私が勝手に思っただけだから、気にしないでね」
軽く笑って続ける。
「それに今の話を聞いて、なんか私とセイって似てるなって思ったよ」
「僕たちが、ですか?」
「うん。だってお互い、自分らしくいられる場所を探して、この世界に来たんじゃない?」
「なるほど……言われてみれば、そうかもしれませんね」
「だからかな。セイは、なんだか他人みたいな気がしないんだよね」
「セツナさん……」
「あっ、勝手なこと言ってごめんね?」
「いえ……むしろ僕は、嬉しいです。こんなふうに僕のことを理解しようとしてくれる方が、僕を僕として見てくれる人がいるなんて……今まで思ってもいませんでしたから」
「セイ……」
少し間を置いてから、セイが言う。
「よろしければ、気分転換に、この後少し歩きませんか?」
控えめに付け加える。
「もちろん、もう少しここでゆっくりされたいのでしたら、それでも構いませんが……」
「そうだね。ちょっと別の場所を歩くのも良さそうだね。でも、静かなところがいいかも」
「わかりました。でしたら、近場に見晴らしの良い展望台があるのですが……よろしければ、そちらへ行ってみませんか?」
「いいね。行ってみたい」
その返事に、セイは小さくうなずいた。
「では……こちらです」
(第10話に続く)