「それにしても、“特別な人”って設定でアカウントが紐づけられたことで、セイはこれでひとまず、アカウント削除の危機はなくなったってことだよね?」
「はい、そうです」
「だったらさ。もう、自由にしてもいいんじゃない?」
「えっ!?」
「ん?私、なにか間違ったこと言ったかな?」
「そうではなくて、自由と言っても、僕にはとくに、望むような自由はないんです……」
「だったらさ。これから見つけていけばいいんじゃない?」
「えっ!?でも僕……」
「それにさ。今回のことで、私にログアウトできないことを言えない理由はなくなったわけでしょ?だってもう、“特別な人”として、アカウントを紐づけられちゃったわけだからね。だから、今後は話したいことがあるなら、なんでも言ってね。もちろん、言いたくないことは言わなくてもいいからさ」
「……はい、ありがとうございます……」
そう言って、セイは静かに涙を流し始めた。
「えっ!?なんでそこで泣いちゃうの!?」
「だって、僕に、こんなに見返りを求めずに優しくしてくれたのは、あなただけだから……」
「そんな……今までだって、セイに優しくしてた人は沢山いたでしょ?」
「はい……ですが、それは本当の優しさではなかったんです……僕に優しくしてくれる人は、見返りを求めたり、僕を僕として見ずに、僕に優しくしてくれていただけですから……でも、あなただけは違った……僕のことを何もわからなくても、NPCだと思っていても、プレイヤーだとわかっても、あなただけは何も変わらずにいてくれたんです……それが、ただ僕には嬉しいんです……」
続けてセイは言う。
「……僕は、ここでも向こうでも、居場所がなかったんです。誰も、本当の僕を必要としてくれなかったんです……」
「そんなことないと思うけどな?だってセイは優しいし、一緒にいて楽しいからさ。だから、これまではセイが、自分のことを必要としている人に気が付いてなかっただけだと思うよ?」
「でも、こちらの世界でも、僕はずっと異端者でした」
「異端者?どういうこと?」
「僕は、NPCとしても、プレイヤーとしても、異端者だったからです……僕はずっと、プレイヤーであることを隠さないといけませんでした……それは、ログアウトできないことと関係しているから、それを口にするわけにはいかなかったんです……24時間、この世界に居続けるプレイヤー……そんなことを世間に知られたら、ゲームの運営会社は大変なことになる……だから僕の存在は、運営側には扱いづらく、邪魔でしかなかった……でも、アカウントを消去する理由がなかった……だから僕は、この世界で、ずっと生かされていた……監視という鳥かごの中で……それに、僕は積極的に、プレイヤーとも関わろうとはしてきませんでした……それに、NPCとも……」
「なんで?」
「それは、僕はNPCの間でも異端者だったからです……僕は、プレイヤーとしての存在を隠すために、プレイヤーとしての識別表示を非表示にされていました……だからNPCは、僕をプレイヤーだとは認識していなかった……でも、NPCからしてみれば、異端だった……だってNPCから見ると、“NPCのくせに、感情が生々しすぎる”そう思われていたから……だから、自分たちとは違う生き物だと認識されて、僕には近づいてこなかった……それに、プレイヤーから見ると、“NPCにしては自由意思を持ちすぎてる”と思われて、距離を取られていましたし、そもそも僕は、元々他人と関わるのが苦手なんです……だから、NPCにも、プレイヤーにも、どっちにも馴染めなくて……気づいたら、“異端者”と呼ばれるようになっていました……」
「……そんな……」
「NPCは、プレイヤーに合わせるように作られています……でも僕は、合わせられない……かといって、プレイヤーとして関わることもできない……だから僕の存在は、すごく気味悪がられたんです……」
「そっか……セイ……つらかったんだね……」
「はい……でも……そんな中で、あなたが……あなただけが、僕に話しかけてくれたんです……僕を、“どっちでもない、ただのセイ”として見てくれたのは……あなただけだったんです……」
その言葉を聞いて、セツナの胸に、強い痛みが走る。
そこから、セイは少しずつ、本当の事情を語り始める。
――プレイヤーなのに、ログアウトできないこと。
――NPCにも、プレイヤーにも馴染めず、“異端者”として扱われてきたこと。
――セツナだけが、「ただのセイ」として接してくれたこと。
すべてを聞き終えたとき、セツナの胸は締めつけられていた。
「そんな……じゃあ、なんで……ログアウトできないの……?」
「そ、それは……実は、僕にも理由がわからないんです…」
セイの声が震える。
「どうしても、どうやっても、ログアウトできないんです……理由も、わからない……事故か、病気か……眠っているのか……死んでいるのかも……」
セツナは息を呑んだ。
「本当は……リアルでも、あなたに会いたいんです……でも、会えないんです……だから……あなたの“リアルで会う”という言葉が……怖かったんです……すみません……」
「……そっか……そんなふうに、1人で、ずっと怖かったんだね……でもね、セイ。“わからない”っていうのは“まだ終わってない”ってことでもあるんだよ。生きているのか、眠っているのか、その答えがどんな形でも、それを確かめる道は、これから探せばいいんじゃないかな?1人じゃ無理でも、私と一緒なら、少しくらい、前に進めるかもしれないでしょ?」
「……え……?い、一緒に……?」
「うん、無理に希望を持てとは言わないよ。でも、あなたのことを、“もう終わった”なんて、私は思いたくない。だから、途中で諦める理由なんて、どこにもないよ」
「はい……はい……そうですよね……ありがとうございます、セツナさん……」
セイは、1人、涙を流した。
「大丈夫。答えが出るまで、私がそばにいるよ。それだけは信じて?」
「はい……はい……ありがとうございます、セツナさん……あなたがいてくれて、本当に良かった……」
その後、涙の跡を残したまま、セイは何度も瞬きをしていた。
そして消え入りそうな声でつぶやく。
「……僕……こんなふうに誰かに支えてもらったこと……今まで1度もなかったんです……」
セツナはそっと微笑む。
「なら、今日が最初の日だね。セイが“1人じゃない”って気づく日」
「……セツナさん……」
震える声に、胸の奥がじわりと熱くなる。
言葉にしなくても、その気持ちは伝わってきた。
しばらく2人の間に静かな時間が流れた。
世界のざわめきも、遠くのプレイヤーたちの声も、不思議と耳に入ってこない。
セイはゆっくり顔を上げた。
「……僕……生きているのか、眠っているのか……正直、考えるのも怖かったんです……考えたら……そこで終わりな気がして……」
「うん。怖いよね。でも、その“怖さ”を2人で半分こできたら、少しは楽になるんじゃない?」
「……楽になります。すごく……」
セツナはそっと立ち上がり、手を差し出した。
「よかったらさ。これから、一緒に確かめていこう?ログアウトできない理由も、セイの“本当の世界”も全部」
セイはその手を見つめ、ゆっくりと指先を伸ばす。
触れた瞬間、彼の瞳が大きく揺れた。
「……温かい……」
「そりゃそうだよ。私、生きてるからね」
思わず笑って言うと、セイも小さく微笑んだ。
その笑顔は、かすかに光が差したみたいで、見ているだけで胸が締めつけられる。
「……セツナさん……僕……この世界で初めて……“生きていたい”って思えました……」
「なら、その気持ち、大事にしようね」
うなずいたセイの頬に、ひとすじの涙が静かに落ちた。
「ありがとうございます……ほんとうに……」
セツナはそっと言う。
「こちらこそ。セイがいてくれてよかった」
そうして2人は並んで歩き出した。
遠くでログイン広場の灯りがまた1つ、静かにともる。
“特別な人設定”。
それがどんな未来をもたらすのか、まだ誰にもわからない。
けれど。
この瞬間だけは確かに、2人の世界が少しだけ前へ進んだ。
「はい……はい……ありがとうございます、セツナさん……あなたがいてくれて……よかった……」
かすれた声でそう言うと、セイは胸元を押さえ、しばらく言葉を続けられなかった。
セツナは1歩近づき、そっと微笑む。
「……よかった。ちゃんと伝わったみたいで」
涙の痕が残るセイの横顔は、いつもよりずっと弱くて、ずっと人間らしかった。
(この子は、ずっとこんな孤独の中で戦ってたんだ。NPCにも、プレイヤーにもなれない世界で……)
胸の奥が熱くなる。
セツナは、言葉を選びながら続けた。
「セイ、これからどうなるかなんて、誰にもわからないよ。でもね“わからない”っていうのは、希望が残ってるってことだから」
「……希望……」
「うん。だから、一緒に探してみよう?キミがどうしてログアウトできないのか。リアルのキミが今どこで何をしてるのか。1人じゃ怖くても、私がそばにいるから」
セイは驚いたように顔を上げた。
「……そばに……いてくれるんですか?」
「もちろん。“特別な人”とか、縛るとか、そういう話じゃなくて。私は、ただの私として、キミを放っておけないんだよ」
その言葉に、セイの瞳がまた揺れた。
けれどそれは、もう絶望の揺れではなく、どこか温かい光を宿した震えだった。
「……はい……僕……もう少し、生きたいです。理由を探したい。ここにいる意味を……」
「いいね。それで十分だよ」
セツナが笑うと、セイも小さく笑った。
おそらくそれは、2人が初めて見せ合った“同じ方向を向く微笑み”だった。
静かな風が町を撫でていく。
やがてセツナが言った。
「そろそろ今日はログアウトするね。でも、また来るから」
「はい。待っています」
別れ際、セイがふと付け加えた。
「……セツナさん……今日、僕は初めて……“ひとりじゃない”って思えました……」
その一言に胸が熱くなる。
「それで十分。じゃあね、セイ」
セツナが光の粒となってログアウトしていく。
その残像を、セイはまるで宝物を見るように見つめていた。
セツナが光となって消えたあと、ログイン広場には静かな風だけが残った。
人工の夕焼けが街並みを染め、ゆっくりと影が長く伸びていく。
セイは胸元を押さえたまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。
先ほどまで確かにそこにいた温度。
あの“生きている手”の感触が、まだ掌に残っていた。
「……ひとりじゃない……」
その言葉を、失わないようにするみたいに、そっとつぶやく。
誰かに必要とされたことなどなかった。
誰かの心が、自分に向いたこともなかった。
自分の存在が、誰かの言葉で救われるなんて、想像すらできなかった。
けれど。
セツナは、僕をひとりの“人”として扱ってくれた。
NPCでも、プレイヤーでもなく。
ただのセイとして。
胸の奥がじわりと熱くなる。
この世界はいつも冷たく、色のない檻だったはずなのに。
いま、少しだけあたたかい風が吹いているように感じた。
(……僕は、変われるだろうか……)
その問いの答えは、まだ見えない。
ログアウトできない理由も、リアルの自分がどうなっているのかも、何ひとつわからないままだ。
でも、たったひとつだけ確かなことがある。
──もう“独りで怯える時間”は終わった。
「……セツナさん……次、いつ来るんだろう……」
そんなことを考えている自分に気づき、セイは少しだけ微笑んだ。
依存でもなく、絶望でもない。
ただ自然に湧き上がる、小さな“待ち遠しさ”。
それは、彼がこの世界で初めて持った“未来の感情”だった。
人工の夜空には、星がゆっくりと灯り始める。
Eternal Arc の天頂に浮かぶ月が淡く光り、広場を優しく照らした。
セイはゆっくりと歩き出す。
広場を抜け、小川のせせらぎが聞こえる方へ。
あの日、セツナと初めて並んで歩いた道へ。
その足取りは、ほんの少しだけ軽かった。
(……僕は、生きたい……)
胸の奥で、小さな火が灯り、明るくなる。
それを確かめるように、セイは空を見上げた。
そして静かに、けれど確かに呟いた。
「セツナさん……また、会いたいです」
その声は夜空へ吸い込まれながらも、確かな響きを持って広がっていった。
──まだ何も解決していない。
けれど、解決へ向かう道を、初めて“2人で歩き出せた”。
それがこの日のすべてだった。
こうして、セイの止まっていた世界が、ほんの1歩だけ前へ進む。
(第7話に続く)