夢を見るということについて考えてみた話 | 世羅の気功と日常ブログ

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「何もないと思っていた自分に、
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昨日はかなり疲れていたせいか、今日は延々と眠り続けてしまいました。


途中で何度か目を覚ましては、また眠る――


そんなふうに浅い眠りを繰り返しているうちに、たくさんの夢を見ていました。

 

はっきりとは内容を覚えていないのですが、それらの夢は、現実に起きた出来事をそのまま描いたものではなく、最近見たドラマの空気感が強く残っていたり、どこかで家族とのやりとりを思い出すような場面が出てきたり引きずりかけていた出来事の雰囲気が、まったく別の登場人物やシチュエーションとして、夢の中に再構築されて現れていたようにも思います。

 

どれも直接的ではないけれど、「今の私の気持ち」とどこかで繋がっているような夢たちでした。

 

そんな夢を見て感じたのは、夢という仕組みは、現実で処理しきれなかった感情や記憶を、少しだけ形を変えて、少しだけ安全な距離を保ちながら、もう一度そっと体験させてくれるものなのかもしれない、ということです。

 

そしてその再体験のなかで、気づかぬうちに、自分でも気づけなかった感情に触れ、少しずつ、それを手放す準備が整っていくのではないか――

 

そんな気がしました。

 

また、寝すぎたことで軽く頭痛があったのですが、このことすらも、体が回復しようとしている反応のように思えました。


というのも、頭痛のおかげで思考がぼんやりして、深く考え込まずに済んだからです。

 

もしかしたら、この頭痛さえも「もうこれ以上考えなくていいよ」という、私自身を守るための体からのサインだったのかもしれません。

 

身体の回復、本来の自己防衛反応、夢の中での感情の整理――


それらが重なることで、自然と人は静かに回復していくのかもしれない。


そんなふうに思いました。

 

夢を見るということは、本当に不思議で、優しい仕組みだと思います。


現実ではそのまま感じるには少し重すぎる思いを、夢という別の形で、やわらかく包み直して見せてくれるからです。

 

その中には、自分の感情や記憶、無意識の声が静かに息づいていて、私たちは知らないうちに、それを見つめ直しているのかもしれません。

 

今日一日、寝ていて何もできなかったようにも見えますが、静かに、深く、やさしく、回復していたのだと思うと、この時間も無駄ではなかったのかもしれないと感じました。

 

夢という、人の中にある自然な仕組みが、ときにはストレスをやわらげ、静かに、優しく、癒してくれる。

 

「夢を見る」ということは、本当に素晴らしいことなのだなと、あらためて思いました。


今夜もまた、夢の中でたくさん癒されたいと思います。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。