変わっていった夢の中の景色 | 世羅の気功と日常ブログ

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「何もないと思っていた自分に、
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書き綴るブログです。

私は以前、「眠ること」が苦手な時期がありました。


なぜなら、眠ると夢の中で、自分が孤独であることを突きつけられるような気がしたからです。

 

父が亡くなってから一年以上、私は毎晩のように夢を見ていました。


でもその夢の中で、父はいつも死にかけていたり、苦しんでいたり、葬式をしていたり…。


見るたびに現実のつらさを思い出させるものでした。

 

たとえ夢の中で父が普通に会話をしていたり、元気そうにしていたとしても、どこかで「これはおかしい」と気づいてしまうのです。


「父はもういない」という現実が、夢の中で不意に押し寄せてくる

 

母や祖母、弟が一緒にいても、夢の中で私はその事実に気づいてしまうのです。


——父は亡くなった、母は施設にいる、祖母ももういない、弟は遠くに住んでいる。


そう気づいた瞬間、私は一人きりの家に取り残されていることを自覚し、たまらない孤独感に襲われていました。

 

目が覚めると、ひとりきりの家が急に怖く感じることもありました。


楽しい夢の中のまま終わればよかったのに


「なんで気づいてしまうんだろう」と、夢の中で後悔していたこともあります。

 

夢を見ることがつらくてたまらない時期でした。


たとえ家族が夢に出てきて温かい時間を過ごしていても、「これは現実ではない」と気づいてしまうからです。

 

特に母の夢は、認知症が進んだ後の記憶が強く残っているからか、夢の中でもその姿で現れていました。


軽い症状の頃の夢もあれば、私のことがわからなくなっていた頃の母が出てくることもありました。

 

たとえば、ある夢では母にお饅頭を渡したら、嬉しそうにニコニコしながら大きい方を食べて、私には小さなかけらだけ渡してくれたことがありました。


認知症が進んで子供のようになっていた頃の母です。


でもその笑顔が可愛くて、「あの頃の母可愛かったな」と思い出しました。

 

母は認知症が進むにつれて、まるで無邪気な子供のようになっていきました。


自分が衰えていくことへの不安からだったのだろうと今では思えますが、それまではいつも怒ってばかりで、とても手におえる状態ではありませんでした

 

けれど、認知症の後期になってからは、お菓子を渡すとニコニコしながら食べてくれたり、外出すればあらゆるものを面白がって笑顔で1つ1つ丁寧に実況中継してくれたりしました。

 

認知症が悪化して行方不明になったり、大変なことも多かったですが、その頃の笑顔の母が私は大好きでした。

 

だから、私の中の「今の母」のイメージは、認知症の末期に見せてくれた無邪気で穏やかな母なのです。

 

でも夢の中では違っていました。


母が突然いなくなって探し回ったり、会話をしていても「この人はもうわからないんだよね」と夢の中で感じてしまったりひどいときは、私が母に怒鳴り散らしている夢も見ました。


認知症による行動で私が怒ってしまっている場面が、夢の中でも繰り返されていたのです。

 

大好きな祖母夢に出てきても「もう亡くなっている」と気づいてしまう。


弟は滅多に夢に出てこないけれど、家族そろって楽しく過ごしている夢でも、必ずどこかで「これは現実ではない」と気づいてしまう。

 

——そんな夢ばかりで、私は夢を見るのが怖くなっていました。

 

でも、それが変わってきたのは、たぶん1年ほど前からでしょうか。


ある時から夢の内容が変わったのです。

 

父は苦しまず、普通に会話をしている。


母も認知症ではなく、昔の自然な姿で出てきて、言葉は交わさなくてもそばにいてくれる。


祖母も弟も、夢の中でただ「いつも通り」の日常を過ごしている。

 

そして、目が覚めても、その余韻がやさしく残っているのです。

 

今日の夢では、かつて家族でよく出かけたように、急に「釣りに行くことになった」という夢でした。


いつものように、父の思いつきで決まったお出かけに、文句を言いながらも準備をする…。


そのバタバタする感じすら懐かしくて、夢の中で楽しい気持ちを味わっていました。

 

でも、出発する前に目が覚めてしまい、「もっと寝ていればよかった」と残念に思いました。


とはいえ、さすがにこれ以上寝ていたらまずい時間だったので、仕方なく起きましたが、

 

「夢を見るのがつらい」から「夢を見るのが楽しみ」

 

へと、いつの間にか変わっていたことに気づきました。

 

父のことを思い出しても苦しくならない夢。


母が認知症ではない夢。

 

その変化には、特にこれといった理由思い当たりません。


でも、この1年ほどで、夢の中の家族が変わり、目覚めたあとも穏やかで、あたたかな気持ちになれるようになったのです。

 

だから今の私は、もう夢を見ることが怖くありません。


むしろ、もっとたくさん夢を見たいと思うこともあります。

 

こういうことって、その時ははっきり覚えているのに、時間が経つと少しずつ忘れてしまうんですよね


夢の内容も、心が動いた気持ちも、考えていたこともすべてあっという間に忘れてしまう


だから、こうして書いて残しておくのもいいかなと思いました。


気持ちが動いている時に書くと、その時の臨場感も乗る気がするし、後から読み返したときにも、その時の自分にまた会えるような気がするからです

 

今夜はどんな夢を見るのかな?。


そんな風に、夢を見ることを楽しみに今夜も眠りたいと思います


最後までお読みいただき、ありがとうございました。