明日は予定が色々入っていてゆっくり買い物をする時間がなさそうだったので、19時頃に買い物に行ってきました。
お店に向かって歩いていると、クリスマス前ということもあり、あちこちにあるクリスマス用の飾りやイルミネーションが目に入りました。
昼間に買い物に行ったときには全然気づかなかったのですが、夜になって信号待ちをしているとき、何気なく辺りを見回した時に初めてイルミネーションに気が付いたのです。
そのとき、「見ているつもりでも、本当に色々なものが目に入っていないんだな」と改めて思いました。
こうした「見ているつもりで実際には見えていない」状態を スコトーマ(心理的盲点) と言います。
スコトーマとは、自分が無意識に見落としてしまう情報や事実を指します。
これは、自分に都合が悪いことや信じたくないことを意識的に避ける場合だけでなく、普段から目にしているはずなのに意識に上がらず見落としてしまう情報も含まれます。
人間の脳は、自分にとって重要だと判断した情報を優先して処理するため、それ以外の情報を自然とフィルタリングする仕組みを持っています。
そのため、自分では「見ている」と思っていても、実際には多くのものを見逃していることが多いのです。
今回、クリスマス前だと意識して初めて飾りやイルミネーションに気が付いたのも、こうしたスコトーマが影響しているのかもしれないと思いました。
そんなことを考えながら歩いていると、ふと認知症の母との出来事を思い出しました。
母とは約4年前まで一緒に暮らしていましたが、極度の認知症になり、今は施設で暮らしています。
認知症が進行していた当時の母は目が離せない状態で、父の介護も重なっていたため、一瞬目を離した隙に母が家を出てしまい、何度も行方不明になることがありました。
あるときは1日行方不明になり、もうダメかと思いましたが、25キロ以上離れた田舎で親切な方に保護していただき、無事発見されたこともありました。
そんな母でしたので、私がどうしても買い物に行かなくてはいけないときは、母を一緒に連れて行かざるを得ない状況でした。
私自身、当時はパニック障害で一人で外出するのが難しかったため、母を連れて行くことは自分のためでもありました。
そんな中、母と買い物に出かけると、いつも気づかされることがありました。
それは、私が見えていないものを母がたくさん見ているということです。
例えば、信号待ちや道を歩いているとき、母はいつもキョロキョロしながら、無邪気にこのようなことを言っていました。
「あそこにビルが建っているね。」
「黄色の車が走っているね。」
まるで実況中継のように、自分が見ているものをそのまま言葉にするのです。
「あそこに鳩がいるね。」
「車が3台通ったね。」
そんな母の言葉を聞いて、当時の私は「母の方が注意深く物事を見ている」と思っていました。
しかし、スコトーマ(心理的盲点)というものがあることを知った今では、あれは母が私の見えていないものを見ていたのだと気づきました。
私が重要視していなかったことが、母にとっては大切なことだったのだと思います。
認知症が進行して数分前のこともすぐに忘れるようになり、私の名前さえ思い出せない母でしたので、私は心のどこかで認知症の母を軽視していたのかもしれませんが、今振り返ると、母は私より多くのものを見て、感じていたのだと思うのです。
そんなことを考えながら歩いていると、ふと「見えないこと、気づかないことが救いになることもあるのではないか」と思いました。
パニック障害を抱えていた頃の私は、とにかく外の世界からの刺激が怖くて、できるだけ視界を狭くし、自分を守ることに必死でした。
道を歩くだけで心臓がバクバクして、周りの景色なんて目に入らず、ただひたすら前だけを見ていた気がします。
周りにどんな花が咲いていようと、そんなものを見る余裕は全くありませんでした。
でも、今振り返ると、それで良かったのだと思います。
私にとっては、その「見えないこと」が救いだったのです。
脳が自然とフィルタリングしてくれたおかげで、必要以上の情報に圧倒されることなく過ごせていたのだと思います。
もちろん、スコトーマによって、せっかくのチャンスを見落としてしまったこともあると思います。
ですが、それに気づき、意識を向けることで、必要なものを見逃さずに済むのだと思いました。
買い物に行きながら、そんなことを考えていると、母が私にスコトーマに気づくきっかけを与えてくれたことに、感謝の気持ちが込み上げてきました。
明日はクリスマスイブ。
心からの感謝の気持ちを、母に気功で届けられたらと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。