昔の私と今の私 | 世羅の気功と日常ブログ

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「何もないと思っていた自分に、
小さな“できた”がくれた喜び」を
テーマに、気ままに想いのままに
書き綴るブログです。

今ではだいぶ良くなっていますが、昔はガラケーが手元にないだけで予期不安が出るような状態でした。

 

外出時にガラケーを置き忘れたと気づいた瞬間から予期不安が始まるため、死に物狂いで家に戻ったり、家に戻ってからは私が落ち着くまで父に話し相手になってもらっていました。

 

 父が家にいない時や、私が外出している時は、予期不安や発作が出ると、いつも父に電話をかけていました。

 

このような切羽詰まった状態では、メールをしようにも手が震え、焦りでまともに文字を打つことができなかったため、電話で話すことしかできなかったのです。

 

 

その頃の私は一人では何もできず、父に頼りきっていました。

 

1人で留守番すらできなかったため、わがままだと自覚しつつも、毎日のように無理を言って父にそばにいてもらっていました。

 

どうしても外出が必要な時は一緒に連れて行ってもらい、それができない時は電話で話すことだけが頼りでした。

 

ガラケーしか持っていなかった頃は、端末の再起動のわずかな間ですら不安に襲われたため、父がそばにいてくれることが唯一の救いでした。

 

私としてはガラケーがシンプルで使いやすかったので、ガラケーさえあればよかったのですが、FOMAのガラケーでは電話とメール以外が使えなくなったため、スマホとの2台持ちになりました。

 

「収入がないんだから、ガラケーを解約してスマホだけにすれば?」と弟にも言われましたが、スマホは不具合を起こすと再起動に時間がかかりますし、あまり使い慣れていないため、電話をかけるだけでも焦ってしまって、必要な時に使えないのです。

 

また、ガラケーが通信障害を起こしても、スマホがあれば何とかなることもあります。(その逆もありますが…。)

 

そのため、今でも2台持ちを続けています。

 

予備の端末も常に用意していますが、それは何かあった時にすぐにカードを入れ替えて対応できるようにするためです。

 

それでも、通信障害や端末故障の不安は消えないので、さらに固定電話も契約しています。

 

パニック障害を経験していると、「大丈夫だ」と思おうとしても、常に不安や心配がつきまとうため、少しでも安心感を得るためにできる限りの準備をしてしまうのです。

 

 

そんな私が、今では一人暮らしをしています。

 

父がそばにいないと何もできないと思っていたのに、父が亡くなり、母も施設に入ったことで、否応なく一人になったからです。

 

当時は父を失った悲しみで毎日泣き暮らし、誰もいない家で一人過ごすことが不安で、夜も電気を消して眠れなくなりました。

 

でも、不思議なことに父が亡くなってからも発作は起こしていません。

 

まるで父が側で見守ってくれているかのようです。

 

それでも、心の不安は消えず、常に私の中にあります。

 

 

しかし、今の私には気功があります。

 

それが心の支えとなり、少しずつ一人でもできることが増えてきました。

 

もちろん、不安や心配が完全に消えることはありませんが、自分で対処できる力を少しずつ身につけてきました。

 

 

昔の私なら、このように一人で暮らすことは到底考えられなかったでしょう。

 

でも今は、「何かあっても気功があるから大丈夫!」と思えるようになりました。

 

小さな一歩ですが、その積み重ねが今の自分を支えています。

 

気功との出会いは、私の人生を少しずつ良い方向へ導いてくれています。

 

気功がない日々はもはや考えられないほどです。

 

気功に出会えて本当に良かった…。

 

 

本日も最後までお読みくださりありがとうございました。