人類の存続って? | パート主婦の生き方

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浮かんでは消えて行く思索の記録

人類の存続ってそんなに大切?

人類の存続っていったい誰のため?

人類が存続しなくなって困るのは誰だ?

今生きている私たち? 

約35億年かけてできたすごい文明がなくなるなんてもったいない的な?

でもみんな死んじゃったら、そもそも困る”人”がいない。笑

火星移住計画とかって、人類の存続のためだっけ?

 

あり得ない設定から有りうる設定を考えてみましょう。

 

なんらかの不可抗力で、人が妊娠できなくなったとします。「はい、明日以降、誰も妊娠しません。」

もう人類の滅亡決定。明日から少しずつ人口が減っていく訳です。

 

さて、どうしたものか。苦しみながら死んでいくなんて、誰も嫌です。

あと100年そこらで誰もいなくなるのが分かった時、生き方を変えざるを得ません。現代の社会システムも経済規模も縮小していくのですから。

 

残された人々は協力して生きていくために、移動を余儀なくされます。もう次世代に何かを残すために頑張る必要はありません。何事もないように、今まで通り生きる人もいるかもしれませんが。残された日々のクオリティが重視されます。(個人レベルでいうと、余命少ない人はそのような生き方を考えるでしょう。)産業やテクノロジーは衣食住や医療のサービスなどに重点が置かれていきます。先に死んでいく人のケアを迫られ、選択肢も減り、自由を謳歌するどころではないでしょう。

 

残された人々にはいつでも安楽死できるように薬が配られます。

死ぬのは時間の問題であり、いつ死ぬかも自分で決められます。

 

 

現代の私たちはもちろん、過去とも未来とも繋がっています。そして人類として、現在の生活の質を維持・向上させながら、未来に生き続ける可能性を広げるために生きています。それは決して無駄にはならないでしょう。

 

ある日突然、人類が妊娠しなくなることはあり得ないでしょうが、人類の進化のスピードより、衰退のスピードの方が早いとしたらどうでしょうか。

 

経済格差と貧困問題。地球温暖化と環境汚染。汚染から引き起こされる健康問題。テクノロジーが進化しすぎたための新しい倫理問題。自由と個人主義が促進され、自分のために人生を謳歌して良い時代。困った時には助け合うけど、普段は干渉しない生き方。テクノロジーや有料サービスに頼り、人間同士が助け合って生きていくという相互依存から抜け出す人々。便利で楽なシステムが採用され、ストレス耐性が減り、極力苦痛や面倒には関わりたくない人々。人との関わり方を忘れる人々。そして減りゆく世界の人口。

 

残りの生きる時間が短いとわかった時、生き方は変わります。

どのように残された人生をより良いものにするのか。

残される人々のためにできることは何か。

 

言い方は悪いですが、問題を見て見ぬ振りをし、好き勝手に自分の自由を謳歌するだけでは、未来の世代がその代償を払わされる時代が来るでしょう。他人の事はどうでもいい、というメンタリティこそ、私たちに跳ね返って来る弊害そのものです。

 

テクノロジーを使いこなしても依存せず、それぞれのストレスや不安や恐れを乗り越えて、人間性や社会性や今ある資源を使って自ら問題を解決していく能力を養っていくことは、余命わずかになった時の人類のためにできる最優先課題かなと思います。