『オッペンハイマー』54 原子力帝国4 | ヒロシマときどき放送部

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2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

 オッペンハイマーは原子力法に反対しなかった。原爆に関わる原材料やその生産工場、機密情報などの管理は徹底されるべきで、それらが密かに流出することなどあってはならないということだろう。

 オッペンハイマーたちに原爆という怪物を作ることができたということは、ウランやプルトニウムさえあれば他の国の科学者も作ることができるということだ。原爆はもうなかったことにはできない、頑丈な檻に閉じ込めておくしかないのだ。原爆が檻から抜け出し、世界の至る所で増殖する悪夢は見たくない。

 オッペンハイマーは核の国際管理の必要性を説いて回った。それは原爆を作る前からの「宿題」。「提出期限」がのびのびになっていたが、ソ連が原爆を作り出すまでには何としてでも国際管理機構ができていなければならなかった。それでオッペンハイマーはトルーマン大統領に面会した。映画『オッペンハイマー』にもその場面が出てくる。

 

 会話の途中でトルーマンは突然、ロシアはいつ自前の原子爆弾を開発すると思うか、とオッペンハイマーに尋ねた。分かりません、とオッピーが答えたとき、トルーマンは自信を持って、わたしは知っていると言った。「彼らは絶対開発できない」(カイ・バード マーティン・J・シャーウィン『オッペンハイマー(中)原爆』ハヤカワ・ノンフィクション文庫2024)

 

 それはトルーマンが、アメリカはこれからも核を独占できると信じていたということだ。映画原作の著者によれば、その瞬間、オッペンハイマーはトルーマンの愚かさを嫌というほど思い知らされたという。それでオッペンハイマーの抱え込んでいた罪の意識が弾け飛び、「わたしは手が血で汚れているように感じます」と口走ってしまったのだろう。しかしその言葉は、トルーマンにとって自分への当てこすりのように聞こえたに違いない。

 トルーマンは1945年7月25日の日記にこう記している。

 

 この兵器は今から8月10日の間に日本に対して使う予定になっている。私は陸軍省長官のスティムソン氏に、使用に際しては軍事目標物、兵隊や水兵などを目標とし、女性や子どもを目標としないようにと言っておいた。いかに日本が野蛮、冷酷、無慈悲かつ狂信的とはいえ、世界の人々の幸福を推進するリーダーたるわれわれが、この恐るべき爆弾を日本の古都や新都に対して落とすわけにはいかないのだ。この点で私とスティムソンは完全に一致している。目標は純粋に軍事物に限られる。(「トルーマン日記」WEBさいと「哲野イサクの地方見聞録」より)

 

 広島への原爆投下後に出された「トルーマン声明」には、「史上初の原爆が軍事基地である広島に落とされたと世界は記録するでしょう」とあった。トルーマンの日記に脚色がないとしたら、トルーマンは本気で広島は軍事基地の名称だと信じ込まされていたことになる。一般市民が大勢暮らす都市の名前だと知った時はもう後の祭りだ。自分がいかに間抜けだったかを思い知らされたに違いない。そんな心の傷の瘡蓋をオッペンハイマーは無慈悲にも剥いでしまったことになろう。トルーマンはもうオッペンハイマーを擁護することはなかった。