『オッペンハイマー』47 破壊された世界11 | ヒロシマときどき放送部

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2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

 1946年4月19日に作成された『広島・長崎マンハッタン管区原子爆弾調査団最終報告書』の最初にはこう記されている。

 

 調査団の大きな目的は二つあった。ひとつは原爆の都市および住民に対する効果の全体を観察することであった。もうひとつはより特殊であって、放射線による独特の効果をすべて明らかにしようとするものであった。後者の調査は、日本の降伏時においてとくに二つの理由から重要と考えられた。日本側は原爆にあった人々の中に「おかしな後から現れる影響」の出現を報告しつつあった。これは明らかに放射線によるものと推定できる。加うるに日本側は、後から両方の都市に入った人々にも同様の症状が見られている旨を報じている。進駐軍の要員の健康と士気を保つ観点から、またこの他の考慮から日本側のこれらの報告の信憑性をできうる限り明確にしなければならない。この点が本隊の全任務の主目的であった。(長崎大学原爆後障害医療県久所資料収集保存・解析部翻訳『マンハッタン最終報告書』

 

 「マンハッタン計画」の最高責任者レスリー・グローヴスが副官のトーマス・ファレルに広島・長崎への調査団派遣を命じたのは8月11日のことだった。原爆の破壊力を現地で詳しく調査することは軍が今後の核戦略を検討するためには当然のことだったろう。特に放射線による人体への影響についての調査は重要だった。

 グローヴスやファレルは放射線の調査に神経を尖らせた。日本が、原爆の「おかしな後から現れる影響」により人々が悲惨な目に遭っていると言っているのだ。アメリカ政府・軍当局は、表向きには日本が同情してもらいたいがためのプロパガンダだと切り捨てたが、それが放射線によるものだとは前から知っていた。

 ただ、残留放射線が人体にどのような影響を与えるかについてははっきりさせる必要があった。もし広島・長崎に派遣したアメリカの兵士たちに重大な健康被害が起きたならば、確かに兵士の士気に響くだろう。それだけではない。すでに原爆は大量殺戮兵器だという批判があるのに、放射能で後から血を吐いて死ぬ「非人道的」な兵器だったということが世に知られれば、政府・軍への信頼は地に堕ちるに違いない。

 ファレルはテニアン島で広島・長崎に向かう調査団員を前にしてこう言ったと、放射線計測の専門家ドナルド・コリンズ中尉の証言が残されている。

 

 ファレル准将が開口一番に伝えた「指令」に、コリンズ中尉は耳を疑った。

「君たちの任務は『ヒロシマとナガサキに放射能がない』と証明することだ」

初めから結論ありきの調査など、調査ではない。彼はすぐさま質問をぶつけた。

「失礼ですが准将、我々の任務は残留放射線を測ることだと命令を受けたのですが。残留放射線は至る所にあるでしょうから」

 するとファレル准将は、興奮して唾をとばしつつ、どもりながら次のように答えた。

「放射線量が高くないことを証明しろ!」(NHKスペシャル取材班『原爆初動調査 隠された真実』ハヤカワ新書2023)

 

 兵士の「士気」を保つためには、ヒロシマとナガサキに残留放射能があってはならなかった。そして「原爆症」に苦しむ市民など、どこにもいるはずがなかったのだ。