「デイリー・エクスプレス」紙記者バーチェットの手記によれば、「マンハッタン管区調査団」団長のトーマス・ファレル准将が東京帝国ホテルで記者会見を開いたのは「九月七日だったか八日の朝」とある。だが、ファレルは8日朝に空路岩国へ行き、そこから広島に入っているので、8日の会見はないだろう。6日か7日のどちらかということになる。
その日東京に戻ってきたバーチェットは疲れてふらふらだったが、それでも駅で会った同僚の記者が、「君が広島で書いた放射線症を特に否定する」会見があると言うので、それでは行こうということになった。ホテルに着いた時、記者会見は終わりに近づいていたが、それでもファレルが会見を開いた意図ははっきりわかった。
准将の服装をした科学者が、原爆放射線——私が説明した症状を呈する——の問題はありえない、なぜなら、爆弾は、「残留放射線」の危険をとりのぞくために、相当の高度で爆発させられたからだと説明した。(ウィルフレッド・バーチェット著 成田良雄他訳『広島TODAY』連合出版1983)
それでバーチェットの最初の質問はこうだった。「報告した将校は広島に入ったことがあるのか」。それでもファレルは頑なにバーチェットの見てきた残留放射線による被害を否定した。
が、残留放射線の影響があることはバーチェット自身の体が証明していた。記者会見の後で連れて行かれたアメリカ陸軍の病院で、バーチェットの白血球が明らかに減少していることがわかった。それを検査した医師は、膝の古傷の化膿によるものと診断書に書いた。それは医師が無知だったせいではあるまい。白血球の減少は典型的な放射線障害であることを隠蔽したのだ。
そしてバーチェットはGHQから記者証を取り上げられ、日本からの退去処分を告げられた。それは数日後に撤回されたが、日本に来た特派員が全て横浜に閉じ込められ、広島、長崎に行くことは事実上禁止された。
ここからは私の想像になる。9月6日(あるいは7日)の会見はどうして記事にならなかったのか。少なくとも「ニューヨーク・タイムズ」紙は掲載していない。これは新聞社の都合や忖度といったものよりか、アメリカ政府・軍当局の指示によるものだと考えられないだろうか。計算上は残留放射線による被害はないはずだというのなら、何もわざわざ調査する前に説明する必要はない。すでにハロルド・ジェイコブソンの「70年間不毛説」に対する反論としてオッペンハイマーが発表しているのだ。
で、アメリカの科学者がまだ誰も広島・長崎に行っていないのに残留放射線の被害を否定するのは、逆に嘘が見え見えということになりかねない。それをバーチェットが指摘した。とにかく一度は広島・長崎へ行って、それから改めて会見を開いたほうが利口だと判断したのだと思う。外国から来た特派員はもう広島・長崎を独自に取材することはできず、アメリカ政府当局の広報に依存するしかない。これなら安心というものだ。
9月13日付の「ニューヨーク・タイムズ」紙に、広島から戻ったファレルの記者発表の記事が載った。「危険な残留する放射能、また、爆発時に毒ガスのようなものを発生させたかについては断固否定した」というものだった。