『オッペンハイマー』42 破壊された世界6 | ヒロシマときどき放送部

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2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

 1945年8月9日付の「シカゴ・トリビューン」紙にオッペンハイマーのコメントが掲載されている。「広島における地表部には、とり立てるほどの放射能はない。当初多少は残存していたとしても、その後急激に消滅したと信ずるにたる十分な根拠がある」というものだ。(『広島県史 原爆資料編』)

 それは前日に「ワシントン・ポスト」紙の一面を飾った物理学者ハロルド・ジェイコブソンの「今後70年間、広島の廃墟に足を踏み入れることは危険である。なぜなら、危険な放射能がその間残留するからだ」という主張に対する政府あげての圧力の一環だった。

 たしかに、原爆から放出される中性子を吸収した物質が持つ放射能(誘導放射能)は、オッペンハイマーが説明するように急速に減少する。しかし、それで誘導放射能による被害がないと断定できるわけではないし、オッペンハイマーはさらに隠していることがあった。

 広島の原爆には64.1kgの濃縮ウランが使われたが、そのうち核分裂の連鎖反応を起こすウラン235は51.6kg。実際に連鎖反応を起こしたのは912gで、セシウム137やストロンチウム90などに変化した。(静間清「広島原爆放射線量評価に果たした被爆建造物および被爆資料の役割(その1) 残留放射能の深度分布」広島平和記念資料館『研究報告14号』2019)

 核分裂しなかった「燃え残り」のウラン、それにセシウム137やストロンチウム90などの放射性物質は、原爆のさく裂による高温、高圧により微粒子となって高空に吹き上げられるが、やがて地表のどこかに舞い降りてくる。こうした放射性降下物(「死の灰」)の危険性をオッペンハイマーは十分に知っていた。1945年5月11日、オッペンハイマーはマンハッタン計画のナンバー2、トーマス・ファレル准将に宛てた覚書で次のように述べている。

 

 (1) 爆弾自体の放射性物質には毒性がある。爆弾自体には、初めに人間一人の致死量の約10の9乗倍の毒性物質が含まれている。

 (2) 爆発時には放射線が放出され、それは(人間が遮蔽物によって保護されていなければ)半径1マイル以内で損傷を与え、半径約10分の6 マイル以内では致死的となる。

 (3) 爆発後、強度の放射性物質が生成される。放射能は時間の経過とともに減少する。(中略)

  もし爆弾が雨の降っているとき、もしくは爆弾そのものが雨を降らせるほどの高湿度の状態で投下されるならば放射性物質の大部分は雨と一緒に目標地域付近に降下するものと考えてよかろう。(公益財団法人泉美術館『広島の記憶』2023)

 

 広島に投下された原爆の場合、(1)は主原料の濃縮ウランで、(2)は原爆のさく裂とともに放出される初期放射線だ。そして(3)が核分裂によって生成されるセシウム137やストロンチウム90など。オッペンハイマーはその全てに人体への危険性があることを指摘しているが、新聞のコメントでは全く触れていない。隠蔽したと考えるのが自然ではなかろうか。アメリカが非人道的な恐ろしい兵器を使ったなどと非難されたくはなかっただろうから。

 しかし、やがて広島の現地から世界的なスクープが飛び込んできた。ここらへんについて映画ではスルーされていたような気がするのだが、私の記憶が飛んでいるのだろうか。