『オッペンハイマー』38 破壊された世界2 | ヒロシマときどき放送部

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2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

 映画『オッペンハイマー』は、日本で公開される前から、そして公開されてからも、ヒロシマ・ナガサキの被爆の惨状が描かれていないという批判があった。が、その一方でオッペンハイマーの伝記映画だから無理に描く必要はないという意見もある。しかし、オッペンハイマーが想像する人類の未来を映像化できるなら、ヒロシマ・ナガサキへの後ろめたさや自分自身に対する嫌悪感を映像で表現することも不可能ではなかろう。

 ただ、描くとしたらどう描くかが問題だ。このブログの最初に書いたように、ロサンゼルス在住の映画ジャーナリスト猿渡由紀さんは、「ノーランのように数多くの観客を集められる監督が原爆の被害をハリウッドの超大作で描いたとしたら、正しい知識を広めることができただろうに」、そして「アメリカ人に原爆のリアルを知ってもらうチャンスだった。しかも、上映時間は3時間もあるのだ」と指摘する。(「東洋経済オンライン」2023.8.2)

 言い換えれば、映画からは原爆の被害についての「正しい知識」あるいは「原爆のリアル」は感じられないということになる。それは猿渡さん一人の思いではなかろう。オッペンハイマーの見た被爆者の幻影に、観客の中でどれだけの人が吐き気を催したかと言う話だ。

 でも、どうやったら原爆の悲惨さを映像でリアルに表現できるか、これまた難しい問題だ。

 映画では、原爆の閃光に皮膚が弾け飛んだ若い女性が出てくる。セロファンが剥がれた程度の表現だといった非難するコメントも目にしたが、私が映画を見て思ったのは、これはクリストファー・ノーラン監督が原爆の最新の研究成果をよく学んだ上での表現ではなかったかということだ。

 2015年8月6日に放送されたNHKスペシャル「きのこ雲の下で何が起きていたのか」は衝撃的だった。原爆のさく裂で放出された強烈なエネルギーを持つ熱線を浴びると、皮膚の内部にある水分が瞬時に蒸発し、膨張した水蒸気によって皮膚は裂けてしまうというのだ。日本熱傷学会理事の原田輝一さんは、皮膚が「ばっと剥がれ」たと説明された。ヒロシマ・ナガサキの基本図書の一つである『広島・長崎の原爆災害』(岩波書店1979)にはない表現だ。

 しかし実際に原爆の被害に遭った人はこのように証言されている。

 

 ふと自分で吸う息がとてもくさいのに気がついた。「これは黄燐焼夷弾というのかも知れない」私は無意識に鼻と口を、バンドにはさんでいた手拭で思い切りぬぐった。その時私は初めて顔に異状を覚えた。ぬぐった顔の皮膚がズルッとはがれた感じにハッとした。

 ああ、この手は――右手は第二関節から指の先までズルズルにむけて、その皮膚は無気味にたれ下っている。左手は手首から先、五本の指がやっぱり皮膚がむけてしまってズルズルになっている。

 「しまった。火傷だっ」と魂の底からうめいた。(北山二葉「あッ落下傘だ」広島市原爆体験記刊行会『原爆体験記』朝日選書1975)

 

 原爆の閃光に焼かれたその瞬間を鮮明に記憶している人が果たしているだろうか。誰もが北山さんのように後になってから気づいたのではなかろうか。原爆の閃光を浴びた瞬間を、どうやったら映画『オッペンハイマー』以上に「正しく」そして「リアル」に描けるか、私は今のところアイデアが出てこない。