『オッペンハイマー』37 破壊された世界1 | ヒロシマときどき放送部

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2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

 映画『オッペンハイマー』では、核実験の連鎖反応で地球の大気が大爆発する可能性がゼロでないにも関わらず実験を強行した。実際には大気の爆発はなかったが、ある意味「世界を破壊する連鎖反応」は起きてしまい、オッペンハイマーに“we did“(私たちは、やってしまったのです)と言わせた。

 その連鎖反応とは何か。それは世界各国の熾烈な核兵器開発の競争であり、いつ核ミサイルが自分たちの頭上でさく裂するかわからない恐怖の応酬だと言えよう。そして映画のラストシーンにその結末が示される。

 トリニティ核実験が「成功」すると、原子爆弾はオッペンハイマーたち科学者の手を離れた。ロスアラモスから運び出されていく原子爆弾を一人見送るオッペンハイマーの背中がスクリーンに映し出される。実験「成功」の高揚感が冷めると、それまで押さえつけてきた感情が吹き出てくるのは想像に難くない。

 日本時間の8月6日午前8時15分、広島に原爆投下。トルーマン大統領の声明が発表されたのは、それから16時間後のことだった。その晩、ロスアラモス研究所のホールには大勢の人が集まり、歓声をあげ足を踏み鳴らしてオッペンハイマーの登場を待った。オッペンハイマーはまるでチャンピオンみたいに後ろの入り口から通路を通って壇上に上がり、観衆の喝采を浴びた。

 その時突然、オッペンハイマーの周りを白色の閃光が覆った。トリニティ核実験の時に見た閃光だ。その光を浴びて若い女性の顔の皮膚が弾け飛ぶ。気が付けば足元には黒焦げの死体。嘔吐している人間も見えた。

 映画はおそらく、原作に描かれた広島への原爆投下を知った日のロスアラモスの様子をヒントにしている。それは一人の兵士の手紙から始まる。

 

 「多くのパーティーが開かれました。三つのパーティーに招かれたけど、一つしか出席できませんでした。それは朝三時まで続きました。皆が幸せでした。とても幸せでした。われわれはラジオを聞いて、踊って、またラジオに耳を傾けました。そしてニュースの一言一句に声を立てて笑いました」。オッペンハイマーは一つのパーティーに出席したが、去り際に一人の物理学者が酔っ払って草むらで吐いているのを目撃した。これを見たオッペンハイマーは、原子爆弾にかかわる心の清算が始まったと感じた。(カイ・バード マーティン・J・シャーウィン『オッペンハイマー(中)原爆』ハヤカワ・ノンフィクション文庫2024)

 

 その物理学者は、おそらく、原爆で何が起きたかを考えるのが辛くて酔わずにはいられなかったのだろう。ロスアラモスは次第に沈鬱な空気に包まれた。「日がたつにつれて嫌悪感は高まり、戦争終結が爆弾の使用を正当化すると信じていた人たちにさえ、きわめて個人的な後ろめたさを経験させた」という証言も残されている。

 しかしクリストファー・ノーラン監督は、オッペンハイマーに、ヒロシマ・ナガサキではなく、自分たちの未来を見せた。近い将来にアメリカは、そして世界中が火の海になるに違いないと。(原爆投下を後悔させたいのなら、オッペンハイマーを焼け野原のヒロシマにトランスポートさせるだろう)。