『オッペンハイマー』30 ヒロシマ ナガサキ2 | ヒロシマときどき放送部

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2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

 アメリカに戻ったトルーマンは9日にラジオ演説をしている。その中ではっきりと「軍事基地である広島」と言った。

 

 “The world will note that the first atomic bomb was dropped on Hiroshima, a military base”(史上初の原爆が軍事基地である広島に落とされたと世界は記録するでしょう)。

 

 そして「軍事基地」を原爆の標的としたことについて、その理由を述べる。

 

 “That was because we wished in this first attack to avoid, insofar as possible, the killing of civilians”(その理由は、この最初の攻撃を行うにあたって民間人を殺害することをできるだけ避けたいと望んだからです)

 

 つまり、アメリカ政府は当初、広島では原爆による民間人の死者がほとんど無かったことにしたのだ。さすがに化けの皮はすぐに剥がれたが。

 日本政府はトルーマン声明を受けてすぐに抗議文を作成し、10日に中立国のスイス経由でアメリカへ送った。

 

 本月六日米国航空機は広島市の市街地区に対し新型爆弾を投下し瞬時にして多数の市民を殺傷し、同市の大半を潰滅せしめたり。

 広島市は何ら特殊の軍事的防備乃至施設を施し居らざる普通の一地方都市にして、同市全体として一つの軍事目標たるの性質を有するものに非ず。(「米機の新型爆弾による攻撃に対する日本政府の抗議文」『広島県史 原爆資料編』)

 

 いやいや、広島にもいろんな軍事施設があったでしょとツッコミはできるのだが、たしかに広島市全体が軍事施設だったわけではない。アメリカだって多数の民間人が暮らしていることはよくわかっていた。いや、むしろわかっていたからこそ狙ったのだ。5月28日に開かれた3回目の目標選定委員会では、軍事施設の位置は無視して、原爆は都市の中心に投下すると決定している(山極晃 立花誠逸編『資料マンハッタン計画』大月書店1993)。「民間人を殺害することをできるだけ避けたい」なんていうのは大嘘だったのだ。

 原爆投下は国際法上においても重大な問題だと言える。

 

 …被害地域は広範囲にわたり、右地域内にあるものは交戦者、非交戦者の別なく、また男女老幼を問はず、すべて爆風および輻射熱により無差別に殺傷せられその被害範囲の一般的にして、かつ甚大なるのみならず、個々の傷害状況よりみるも未だ見ざる惨虐なるものと言うべきなり。(「米機の新型爆弾による攻撃に対する日本政府の抗議文」)

 

 これまで見たこともないような「残虐なる」攻撃だったのだ。原爆の投下は、国際法における、一般市民に対する攻撃の禁止と、人間に不必要な苦しみをもたらす大量破壊兵器の使用の禁止に反することは明らかだった。

 しかしこの抗議文をアメリカ政府は無視する。そして戦後の日本政府もアメリカに追従してこの抗議文をなかったかのように扱った。国際法に違反するかどうか口を閉ざしてしまったのだ。

 日本政府があまり触れたくないのは他にも理由があるだろう。日本軍によるアジアの人たちへの無差別爆撃や虐殺を蒸し返されたら困ると考えたのではなかろうか。

 しかし今も世界のあちこちで、人を人とも思わぬ大虐殺が行われている。何とかして止めなければいけないのだが、それとともに、とんでもない虐殺でも隠すことができる、忘れてもらえる、知らないで済ませるという先例を作ってしまうわけにはいかない。