『オッペンハイマー』27 ポツダム2 | ヒロシマときどき放送部

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2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

 戦後の際限なき核開発競争を防止するため、アメリカが率先して核の情報を公開し国際的な管理の枠組みを作ることは、オッペンハイマーだけでなく多くの科学者が願っていた。映画『オッペンハイマー』では、おそらくフィクションだが、アインシュタインに、核による世界壊滅を防ぐためにはナチスと情報共有することが必要だと言わせている。

 オッペンハイマーが尊敬するニールス・ボーアは、ソ連と核についての協定を結ぶのは原爆ができる前でないといけないと主張した。アメリカが原爆を手にした後では、スターリンがアメリカを信用するはずがないのだ。

 しかしアメリカの政治家もソ連を信用していなかった。陸軍長官スティムソンは1945年7月19日の日記にこう書いている。

 

 わが国のように、自由な言論と自由の諸原理に体制の基礎を置いている国家は、言論を厳しく統制し、政府が秘密警察による圧制を敷いている国家と永続的にうまくやっていけるという自信を持つことができない。 (「スチムソン日記」山極晃 立花誠逸編『資料マンハッタン計画』大月書店1993)

 

 その頃のアメリカに「自由な言論」が本当にあったかどうか疑問だが、とにかくアメリカが決断したのは、核の威力を見せつけてソ連を服従させることだった。そのためには実際に都市の上で爆発させるしかない。映画に出てくる、「彼らはそれを理解するまでは恐れないだろう。そしてそれが使われてみないことには理解しないのだ」という言葉が印象的だ。(「彼ら」とは誰のこと?)

 これに対してシカゴ大学の科学者らによる「フランク報告」は、人類の頭上で警告もなしに原爆をさく裂させたらアメリカは世界の支持を失う、原爆は無人地域でデモンストレーションすべきだと主張した。

 事前の警告についてスティムソンには別の考えがあった。7月24日の日記にこう書いている。

 

 このあと私は、日本側に皇朝の存続をあらためて保証することが重要だと考えている旨を発言した。私は、正式の警告文にそのことを盛り込むことが重要であり、それが日本側に〔降伏を〕受諾させるかどうかの決め手になるだろうと考えていたからだ。(『資料マンハッタン計画』)

 

 7月26日に発表された「ポツダム宣言」は、日本に対する降伏勧告であるとともに、原爆投下の事前の「警告文」だったというわけだ。確かに宣言の最後にはこうある。

 

 右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス(「ポツダム宣言」外務省『日本外交年表竝主要文書』原書房2007)

 

 アメリカはこの「警告文」を発表する前日に、最初の一発と、準備が整いしだい追加の一発を投下するとした「原爆投下命令書」を出している。日本に降伏を勧告する前に原爆投下を命令したのは卑怯じゃないかと思っていたのだが、「ポツダム宣言」が原爆投下の「警告文」だったのなら辻褄が合わないこともない。しかしこの文言で原爆を落とす警告をしたことにするのは、やはり、あまりにもひどい話だと思う。

 国務長官バーンズの反対で、「ポツダム宣言」に天皇制存続条項が入れられることはなかった。スティムソンと異なり、原爆を投下する前に日本に降伏されたら困ると考えたらしい。