『オッペンハイマー』25 トリニティ16 | ヒロシマときどき放送部

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2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

 ジョー・ハーシュフェルダーは核爆発で生じる放射性降下物の測定が任務だった。トリニティの核爆発で火球が出現した直後の光景をこう記す。

 

 「…およそ五秒後、暗闇は戻ったが、空と空気は紫の輝きで満たされ、まるでオーロラに囲まれたようだった。われわれは畏敬の念を持ってそこに立っていた。爆発波が砂漠からかなりの量の土をすくって、すぐにわれわれを素通りしていった」(カイ・バード マーティン・J・シャーウィン『オッペンハイマー(中)原爆』ハヤカワ・ノンフィクション文庫2024)

 

 夜空が紫色に輝いた理由を説明できる能力は今の私にはないが、科学者の頭の上を素通りしていった大量の(たぶん気化した)土についてこれだけは言えよう。それは強い放射能を持っていた。

 オッペンハイマーの弟で物理学者のフランク・オッペンハイマーは火球を見たとほぼ同時に不思議な雲が浮かんでいるのにも気がついた。それは紫色で、とても明るかった。

 

 「しかし最も恐ろしいと思ったのは、この本当に鮮やかな紫色の雲が、放射性のチリで黒く汚れ、そこに浮いていることであった。その雲は空へ上っていくのか、それともこっちへ流れてくるのか分からなかったことだ」(『オッペンハイマー(中)原爆』)

 

 そこにいた科学者たちは「鮮やかな紫色の雲」の正体を知っていた。それでも原爆が「無事」に爆発すると、誰もが「やった!」と叫び、オッペンハイマーは安堵の表情を浮かべた。

 しかし、トリニティ核実験の規模はオッペンハイマーの予想を遥かに超えていた。巨大な雲は約15,000mから21,000mの高さにまで達し、爆発から8時間後、放射線調査チームは爆心地から北東32kmの地点で、人体に深刻な影響を及ぼすのに十分な値の放射線を検出した。(NHKスペシャル取材班『原爆初動調査 隠された真実』ハヤカワ新書2023)

 何も知らされなかった人たちが放射線による健康被害を訴えるにはかなり時間がかかった。「7月なのに雪が降っている」。核実験があった日の午後、爆心地から約100km離れた同州ルイドソにキャンプにきていた当時13歳のバーバラ・ケントさんは友だちと外に飛び出し、「雪」をつかんだり、顔にすりつけたりして遊んだ。「雪」がとても暖かいのが不思議だったが、誰も知らなかったのだ。それが核実験による放射性降下物だったことを。

 

 「キャンプに来ていたメンバーで生き残ったのは私だけ」。西部カリフォルニア州ラグーナウッズで暮らすケントさんが知る限り参加していた約10人の子どもの大半は後にがんを患い40歳を迎える前に亡くなった。ケントさん自身も皮膚や甲状腺などに複数のがんを抱え闘病を繰り返した。(「中国新聞」2020.7.30)

 

 しかしアメリカ政府は、トリニティ核実験による住民の被曝とその被害をどうしても認めようとしない。

 映画『オッペンハイマー』で、放射能の恐怖を映像で表現することはどうやってもできなかったのだろうか。紫色の空や雲などは観客に強い印象を与えはしなかっただろうか(もしかしたらあったかもしれないが、私の記憶にはない)。そしてこの時、原爆のさく裂により世界最初のヒバクシャが生み出されたことを、何もなかったことにしてもいいのだろうか。