『オッペンハイマー』24 トリニティ15 | ヒロシマときどき放送部

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2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

 放射線による被害も表現するのが難しい。そもそも放射線の実態は原子や電子、中性子、電磁波なのだから肉眼で見ることは不可能だ。それに放射線を浴びたらすぐに大きな被害が目に見えるというわけでもないし、これが放射線特有の症状だというものもない。

 中沢啓治さんの『はだしのゲン』では、原爆から3日目に、嘔吐、下痢、脱毛、吐血などの放射線による症状が全部いっぺんに出ている。遺体収容のため市内に入った兵隊が次々に倒れ、その死体が山のように積まれた。中沢さんは、放射線の恐ろしさを感じてもらうために時間を思いきり圧縮されたのだ。それも一つの方法だろう。でも、それまで元気だった人が下痢してその日のうちに死ぬようなことが本当にあったとしたら、ゲンも兵隊たちもみんな一目散に走って逃げなければならない。

 原爆を開発した科学者は早くから放射線の怖さに気づいていた。1944年にヴァネヴァー・ブッシュとジェイムス・コナントがスティムソン陸軍長官に宛てた覚書には、「これらの原子爆弾の製造、および原子力関連全領域における今後のいかなる実験作業も、これを慎重に管理しない限り、国民の健康にきわめて重大な危険を及ぼすことになる」と政府に警告している。(山極晃他編『資料マンハッタン計画』大月書店1993)

 オッペンハイマーも、1945年5月にグローヴスの副官トーマス・ファレルに当てた覚書の中でこう述べている。

 

A 検討中の爆弾は、爆発にともない放射線および放射性物質を発生するという点で、通常の爆弾とは異なる。

1      爆弾自体の放射性物質には毒性がある。(後略)

2      爆発時には放射線が放出され、それは、人間が遮蔽物によって保護されていなければ、半径一マイル以内で損傷を与え、半径約十分の六マイル以内では致死的となる。

3      爆発後、強度の放射性物質が生成される。(後略)

B (前略)放射性生成物の実際の物理的分布は、爆発によって引き起こされる気団特有の動きだけでなく気象条件にも細かく左右されるので、われわれにはわからない。(後略)(『資料マンハッタン計画』)

 

 原爆に使われるウラン235やプルトニウム239は常に放射線を出し、また化学的な毒性を持つ。そしてこれが爆発した際に出る強い放射線(「初期放射線」)により半径1マイル(約1.6km)以内で人体が損傷し、0.96km以内ならば致死的であるという。その予測は当たっていた。

 また爆発後にできる原爆雲(キノコ雲)から降ってくる放射能を持った塵はどこまで飛散するかわからないが、雨に混じれば爆心地近くに降ってくるかも知れないと、オッペンハイマーはしっかり予測していたのだ。

 しかしその予測は、実験場周辺に暮らす人たちの安全のためにされたものではなかった。エドワード・テラーが実験場からロスアラモスの宿舎に戻った時、彼の妻が、「ラジオのニュースで、武器廃棄所が爆発したって伝えていました。けが人はなかったんですって」と言ったという(吉田文彦『証言・核抑止の世紀』朝日選書2000)。

 核実験は、周辺の住民には完全に秘密にされていた。放射能はそれからもずっと無いことにされた。映画では、放射能のことを少しは匂わせていただろうか。私の「嗅覚」はあまり役に立たなかったが。