『オッペンハイマー』22 トリニティ13 | ヒロシマときどき放送部

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2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

 トリニティ核実験場には高さ約30mの鉄塔が建てられ、プルトニウム型原爆が取り付けられた。だが、爆発するかどうかまだ不安が残った。鉄塔に上がり金属製の球体の最終点検をするオッペンハイマー。責任を一人背負った姿が映画では印象的に描かれている。

 科学者たちは爆発の規模を予想して賭けをした。オッペンハイマーの予想は3キロトンと極めて控えめ。映画ではエドワード・テラーが20キロトンを当てたような気がしたが、原作を読むと予想が当たったのはイシドール・ラビで、テラーの予想は45キロトン。彼はいつでも大きなことが好きなのだ。

 7月16日午前5時10分、カウントダウンが始まった。原作によると、オッペンハイマーは鉄塔から9km離れたシェルターの中から指令を出し、他の科学者たちは32km離れた丘の上でその瞬間を待った。

 全員に溶接で使うような特製ゴーグルが渡されたが、さらに爆弾に背を向けてうつ伏せになるよう指示された。オッペンハイマーが予想していたのだ。「原子爆弾の視覚的効果は、ものすごい。投下の後には、高さ一万フィート(約3,000m)から二万フィートの輝く閃光が続く」と。

 他の科学者よりも大きな爆発を予想していたテラーは、用心のため顔に日焼け止めクリームを塗った。そういえば映画でもベタベタ塗ったのがいた。あれがテラーだったのか。そしてサングラスの上にさらに特製ゴーグルをかぶって鉄塔を見つめた。もうすぐ5時30分。カウントダウンが途絶え、しばし静寂が続く。もしかして失敗?

 

 「その直後だった。かすかに、ひとつの光が見えた。光はすぐに三つに割れた。そして炎の輪があらわれ、その中には火球が見えた。ほんの一瞬の出来事だった。この瞬間、私は『たったこれだけのことなのか』と、自分の目を疑った。火の玉の中心温度は、太陽中心部の四倍、太陽表面の一万倍にも達しているはずなのに、目に映った光はあまりにもはかなかったのだ」(吉田文彦『証言・核抑止の世紀』朝日選書2000)

 

 テラーは忘れていたのだ。目を二重に保護していたことを。テラーがゴーグルとサングラスをはずした途端、足元の砂が鏡のように輝き、目が眩んだ。

 原爆の閃光は強烈だ。言葉にならないくらい。北山二葉さんは爆心地から1.5km離れた場所で閃光を浴びている。

 

 どこかで「あッ、落下傘だよ。落下傘が落ちて来る」という声がした。私は思わずその人の指さす方を向いた。ちょうどその途端である。自分の向いていた方の空が、パアッと光った。その光はどう説明していいのか分らない。私の目の中で火が燃えたのだろうか。夜の電車がときどき放つ無気味な青紫色の光を何千億倍にしたような、と云ってもその通りだとも云えない。(北山二葉「あッ、落下傘だ」広島市原爆体験記刊行会『原爆体験記』朝日選書1975)

 

 原爆の閃光を映像で表現することは、とんでもなく難問だと気がついた。ゴーグルをつけないと危険な光だということを、どうやったら観客に感じてもらえるだろうか。スクリーンをいくら光らせても限度があるから、観客はテラーのように、「たったこれだけのことなのか」と思っても不思議ではないし、逆に「これが原爆の閃光なんだ」と感心してもらっても困るというものだ。