『オッペンハイマー』10 トリニティ1 | ヒロシマときどき放送部

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2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

 物理学者の中には原爆開発に距離を置こうとした人もいた。イシドール・ラビはその一人だ。

 

 「わたしは一九三一年以来、日本人が上海の郊外を爆撃している写真を見てからずっと爆撃には強く反対してきた。爆弾を落とせば、それは正義にも不正義にも、同じように降りかかる。それからは脱出しようがない。思慮分別のある人も、正直な人も逃げることができない。…」(カイ・バード マーティン・J・シャーウィン『オッペンハイマー(中)原爆』ハヤカワ・ノンフィクション文庫2024)

 

 そしてロスアラモスへの誘いを断った理由として、「三世紀にわたる物理学の最高到達点を、大量殺戮兵器で飾りたくなかったんだ」とも語っている。

 これにオッペンハイマーは反駁した。ナチスのことを考えたら原爆開発をやめるという選択肢はないというのがオッペンハイマーの信念だった。原爆開発でドイツに遅れをとることは絶対にあってはならなのだ。

 これと繋がるのだろう、映画『オッペンハイマー』の中に印象的なエピソードが描かれている。トリニティ核実験の直前(だったように見えた)、水爆開発で知られる理論物理学者のエドワード・テラーが恐るべきことを言い出した。核爆発が引き金となって世界全体が炎上する恐れがあるというのだ。オッペンハイマーは急いでアインシュタインのもとを訪ねて意見を求めている。やがてその可能性はゼロに近いとわかったが、テラーの予想が当たったらという不安も拭えなかった。が、それでもオッペンハイマーは核実験をやめようとはしなかった。

 実は映画のこの場面は原作と少し違う。まずエドワード・テラーが言い出したのは核実験の直前ではなく、マンハッタン計画が始まる前の1942年夏だ。テラーが研究していたのは水素爆弾。原爆の爆発による超高温・超高圧で二重水素(デューテリウム)や三重水素(トリチウム)の原子核を融合させると、とてつもないエネルギーが生まれる。テラーは、水素でできるなら空気中の窒素も核融合するかもしれないと考えた。計算してみると、それが連鎖反応を起こして地球全体が大爆発する可能性は無視できないものだった。

 テラーの計算に驚いたオッペンハイマーが助言を求めたのはアーサー・コンプトンだった。コンプトンはマンハッタン計画を立ち上げ、オッペンハイマーをこの組織に引き入れた人物だ。話を聞いたコンプトンは震え上がり、人類が破滅するくらいならナチスの奴隷になった方がマシだと思ったという。

 テラーは計算間違いをしていると気づいたのはハンス・ベーテで、オッペンハイマーが信頼する科学者だった。ベーテの計算では、核爆発で大気が引火する可能性は全く無視できるものであり、これにテラーとオッペンハイマーは納得したというのだ。(藤永茂『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』ちくま学芸文庫2021)

 しかし映画『オッペンハイマー』のクリストファー・ノーラン監督は、トリニティ核実験のあたりから人類の破滅を匂わせている。そしてオッペンハイマーを、原爆開発を主導したコンプトンではなく、アインシュタインのもとに向かわせた。アインシュタインこそ、オッペンハイマーが罪を懺悔するのに相応しい人物であるかのように。