『オッペンハイマー』11 トリニティ2 | ヒロシマときどき放送部

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2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

 ウランのような大きな原子核に中性子をぶつけると核分裂が起きるというニュースが世界を駆け巡ったのは1939年1月のことだった。オッペンハイマーはすぐに、核分裂が連鎖反応を起こせば莫大なエネルギーが生まれ、それは爆弾に使えるかもしれないというアイデアが閃いた。しかしそのアイデアは優秀な理論物理学者であれば思いつくことができるものであり、そして当時ナチスが権力を握っていたドイツにも優秀な学者は数多くいた。

 1939年8月2日付けでアルベルト・アインシュタインはローズヴェルト大統領へ書簡を送った。近い将来に原子爆弾の製造が可能であり、すでにドイツはウランを手に入れていること、そしてアメリカ政府に対して核開発を加速させるために迅速な行動を求める内容だった。

 この書簡はナチスドイツが原爆を持つことに強い危機感を持っていた物理学者のレオ・シラードらの求めに応じたもので、アインシュタインの原爆との関わりはこれだけだったし、この書簡が直接マンハッタン計画に結びついたわけでもなかった。しかしアインシュタインは、原爆が開発され実際に使われるきっかけをつくったと終生後悔の念を持ち続けた。1948年にはアメリカを訪れた湯川秀樹と会って、その手を握り、大粒の涙をこぼしながら「許してほしい」と何度も頭を下げたという。アインシュタインはそんな人だった。

 映画『オッペンハイマー』では、トリニティ核実験の前、オッペンハイマーとアインシュタインが次のような会話をしている。(まいるずnote「【オッペンハイマー】徹底解説:アインシュタインとの会話」参考)

 

 オッペンハイマー「私たちが原子力装置を爆発させると、もしかしたら連鎖反応で世界が破壊されるかもしれません」

 アインシュタイン「だから君はここに来たんだね。量子論の確率の世界で迷子になってしまい確信が欲しくなって」

 

 陽子や電子などの微小な世界では何が起きるかを確率でしか表せないという量子力学を、アインシュタインは不完全な理論であると批判し、「神はサイコロを振らない」という言葉を投げかけた。受けてたったのは量子力学の発展に指導的役割を果たしたニールス・ボーア。二人の論戦は量子力学をさらに発展させるものとなった。

 このニールス・ボーアこそ、オッペンハイマーにとって心から尊敬する師であり、神にも近い存在だった。そのオッペンハイマーがボーアの論敵のアインシュタインに助けを求めてやってきたのだから皮肉の一つも言いたくなるだろう(あくまでフィクションだが)。それでもアインシュタインはオッペンハイマーの問いに誠実に答えた。もし原爆で核融合の連鎖反応が起きるという予想が再計算によって真実だと明らかになったらどうすればよいのかという問いだった。

 

 オッペンハイマー「それで、もし真実が壊滅的であったら?」

 アインシュタイン「だったら開発をやめなさい。そしてあなたたちが発見した、連合国とナチスの双方の核兵器によって世界が壊滅するという事実をナチス側と共有するのだ。これはあなたたちのやるべき仕事だ。私の出る幕ではない」

 

 しかしそれはオッペンハイマーにできることではなかった。ナチスドイツの科学者と意見交換して双方の国の指導者を説得するなど夢のような話だった。