『オッペンハイマー』5 オークリッジ | ヒロシマときどき放送部

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2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

 オッペンハイマーは理論物理学者としては優れていても実験は苦手だったことは映画にも出てくる。だからか、映画も原作も、原爆の原材料ウランをどのようにして手に入れたとか、ウラン鉱山やウラン加工施設で働く人のことなど現場の話はどこにも出てこない。オッペンハイマーの伝記だから関係ないと言うのだろう。原作でも、書いてあるのはこの程度だ。

 

 一九四二年九月十八日グローブスは、原子爆弾プロジェクトの責任者に正式に就任した。(中略)まさしく同日、彼は一二〇〇トンの高品質ウラン鉱調達を手配した。翌日彼は、オークリッジ(テネシー州)で土地の獲得を命じた。そこで、ウランの加工が可能であった。(カイ・バード マーティン・J・シャーウィン『オッペンハイマー(上)異才』ハヤカワ・ノンフィクション文庫2024)

 

 アメリカ南東部テネシー州の山中に1943年春、農家1000家族を強制移転させて巨大なウラン加工工場のある町が作られた。今はオークリッジと呼ばれるこの町は当時秘密の都市で、地図に載ることはなかった。

 核施設の建設が始まると、地元のテネシー州や、ジョージア、ミシシッピー、アラバマなど南部の各州から貧しいアフリカ系の人たちが仕事を求めてやってきた。人種差別がとてもひどい時代だった。

 

 「ここはオークリッジの街中から取り残された黒人居住区。核施設のY―12は、丘の裏手にある。四百人余りが住んでいるけど、とても病人が多い」

 大きな体を緑のスーツで包んだファニー・ボールさん(61)は、こぢんまりとした居間のソファに腰を下ろし、ゆったりとした口調で言った。首筋に甲状腺がんの手術痕が残る。

 「二〇〇〇年十一月に手術をしたの。ほかにもぜんそくや糖尿病など体中悪いところだらけ。何種類もの薬が離せない。黒人たちは人種差別を受けたうえに、一番汚染のひどい地域に住まわされてきた」(中国新聞「オークリッジ核施設 下」2002.3.17)

 

 採掘された天然ウランを原爆や原発の原料に精製することを「濃縮」と言う。天然ウランの中に核爆発しやすいウラン235は0.7%しか含まれていないが、広島に投下された原爆のウラン(64.15kgあった)では、ウラン235の割合は約80%と推定されている(今中哲二「広島原爆炸裂の初期プロセスについての考察 リトルボーイノートより」『放射化学 第34号』2016)。原爆にはこれだけの高濃縮ウランが必要なのだ。

 この濃縮の過程で必然的に大量の放射性廃棄物が出る。ほとんどがウラン238だが、この放射性廃棄物はどのように処理されたのだろうか。オークリッジ核施設の汚染状況についてテネシー州衛生局が2000年にまとめたリポートには、「地域の環境汚染は、核施設の生産活動により1943年以来起きてきた」と明記されている。(「オークリッジ核施設 下」)

 戦後も、放射性廃棄物だけでなく、水銀、ヒ素、クロム、ポリ塩化ビフェニール(PCB)など危険な物質が垂れ流しにされてきた。が、環境汚染が問題になったのは1980年代になってから。ボールさんは嘆く。「四〇年代から五〇年代は近くのクリーク(小川)に放射性廃液や重金属物質の水銀などが一番たくさん捨てられた時代。そんなことも知らずに、私たち子どもはクリークで泳いだりして遊んでいた。何の警告も受けずに…」。

 密かに廃棄された放射性物質による環境破壊と健康被害。しかしそれはオークリッジだけの問題ではない。