『オッペンハイマー』4 ロスアラモス3 | ヒロシマときどき放送部

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2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

 映画の中でオッペンハイマーは金魚鉢みたいな大きなガラスのボールにビー玉を投げ入れた。ボールがビー玉でいっぱいになったら、それは原爆を作るのに必要な量のウランが調達できたことを示す。またもう一つ特大のワイングラスがあって、それに投げ入れられるビー玉はプルトニウムを表していた。観る者に緊張をもたらし映像効果は抜群だ。

 しかし、このシーンを見てどれだけの人が心を痛めただろうか。映画では小さなビー玉だが、実際には強い放射能を持つウランやプルトニウム。これを採掘し加工する過程でどれだけの人が被曝したか、廃棄物によってどれだけ環境が汚染されたか想像できるだろうか。

 世界最初の原爆に使われたウランが採掘されたのは、アフリカのベルギー領コンゴ(現 コンゴ民主共和国)にある鉱山だった。原爆開発のきっかけともなったアインシュタインからローズヴェルト大統領に宛てた手紙の中にも、「最も重要なウラニウム供給源はベルギー領コンゴ」と書かれてある。

 コンゴ民主共和国は豊かな天然資源で知られるが、それ故か、19世紀後半からのベルギーによる植民地支配は過酷を極め、1960年に独立してからは国内外の諸勢力が利権を求め熾烈な争いを続けて今に至っている。ウラン鉱山の労働者がどのような目に遭っているか、調査に行くにも危険がともなうようだ。(共同通信「広島・長崎投下の核、それはアフリカからやって来た コンゴの原爆ウラン鉱山…過去、そして今何が」2023.7.25)

 2023年8月6日のNHKスペシャルは、コンゴで採掘された世界最高純度のウラン鉱石をアメリカに売り込んだ一人のビジネスマンを取り上げた。この番組の中で、一人の老人がウラン鉱山の採掘労働について貴重な証言をしている。

 

 カバンビ・ルンブェさん、86歳。終戦後7年間、ウランの採掘に携わっていた。鉱山周辺には、1万人を超す労働者が暮らしていたという。

 カバンビ・ルンブェさん「作業は朝から夜の11時まででした。それから夜勤の人がやってきて、夜11時から朝まで働いていました。採掘の仕事はとても過酷な仕事ですよ。一日中、穴の中に入ったきりなんですから。充満した鉱石のほこりっぽい、乾いたにおいが忘れられません」

 強い放射線を発するウラン鉱山の中での人力作業。多くの人が体調不良を訴えていた。

 カバンビ・ルンブェさん「私たちは、毎日せきに悩まされていました。せきがひどくなり、死に至る人もいました。肺の病気で亡くなった人はたくさんいます。私は唯一の生き残りです」(NHKスペシャル「原子爆弾・秘録 ~謎の商人とウラン争奪戦~」2023.8.6)

 

 冷戦時代はアメリカ国内でもウランが盛んに採掘された。鉱山労働に携わったのはアメリカ先住民の人たち。キー・ベゲイさんが証言する。

 

 「放射線防護用の衣服もマスクも与えられなかった。換気装置もなく、安全のための予防措置は何もなかった。呼吸が苦しくなり、せきが激しく出るようになった」(春名幹雄『ヒバクシャ・イン・USA』岩波新書1985)

 

 ベゲイさんは肺がんを患っている。そして家の近くに野積みされたウラン鉱滓の上で何も知らずに遊んでいたベゲイさんの子どもが一人白血病で死んでいる。広島・長崎だけではない、この人たちも確かにヒバクシャ、原爆の被害者だった。