『オッペンハイマー』2 ロスアラモス1 | ヒロシマときどき放送部

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2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

 アメリカ南西部にあるニューメキシコ州の州都サンタフェから約60km離れた、標高2000mの高地にロスアラモス研究所がある。広島、長崎に投下された原爆はここでつくられた。

 原爆開発プロジェクト、通称「マンハッタン計画」が正式に発足したのは1942年8月。プロジェクトの最高責任者となったレスリー・グローヴスに、オッペンハイマーは原爆開発のため新たに秘密の研究所をつくることを提案した。これが1943年4月に正式に開所したロスアラモス研究所だ。

 オッペンハイマーを原爆開発に駆り立てたものは何か。ロスアラモスでともに働き、後に水爆開発の是非を巡ってオッペンハイマーと袂をわかったエドワード・テラーの回想によると、「原子爆弾だけが、ヨーロッパからヒトラーを追い払うことができる」という強い信念だった。そして「ナチがこれを最初に手に入れたら」一体世界はどうなるのかという強い恐れだった。 (カイ・バード マーティン・J・シャーウィン『オッペンハイマー(上)異才』ハヤカワ・ノンフィクション文庫2024)

 オッペンハイマーはロスアラモス研究所についてこのような構想を持っていると手紙に書いている。

 

 われわれはここ数カ月以内に、多分遠く離れた場所に軍のアプリケーション用の研究所を造り、利用可能にする予定である。重要な問題は、秘密漏洩について合理的な予防措置を講じつつも、状況を効果的に、柔軟にし、かつ仕事をしてもらうため十分魅力的にすることにある(『オッペンハイマー(上)異才』)

 

 オッペンハイマーの類い稀な人を惹きつける力で、ロスアラモス研究所には多くの優れた科学者が集まり、所長のオッペンハイマーのもと皆が夢中になって仕事に励んだ。当時はまだ大学院生だったリチャード・ファインマン(後年ノーベル物理学賞を受賞)もその中の一人だった。

 

 私がどうなってしまったか、ほかの連中もどうなってしまったか、おわかりだろう。なるほど、ご立派な理由で、私たちは事をおっぱじめたのだが、さし当たっての問題をうまくやりとげようとけんめいに働いていると、それが楽しくもなり、面白くて仕方がないことにもなる。そうなると、考えるのをやめてしまう、そう、プッツリやめてしまうのだ。(藤永茂『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』ちくま学芸文庫2021)

 

 映画『オッペンハイマー』の中で、人類最初の核実験「トリニティ」成功を祝ってみんなが大騒ぎをする中、一際めだったのがボンゴを叩いていた若者だ。これがリチャード・ファインマン。最高の頭脳を持つ仲間たちと自由に討論し、切磋琢磨してこれ以上ない結果が出れば誰だって有頂天になるだろう。その意味で、ロスアラモスは科学者にとって楽園だった。

 ただし、映画にも出てきたように、鉄条網が張り巡らされ、その中で鋭い目つきの軍人にいつも見張られていることを忘れ、そして、自分たちが今つくっているものが何を人類にもたらすかについて考えることをやめてしまうことでしか、享受できない楽園だった。

 そんな「楽園」は、今も世界の至る所にあるのではなかろうか。