『オッペンハイマー』1 何が描かれたのか | ヒロシマときどき放送部

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2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

 先日、映画『オッペンハイマー』を見てきた。原爆をつくった人間の物語なのに広島・長崎の惨状が全く描かれていないというので、それなら映画で原爆はどのように描写されているのか、うとうとしないよう、トイレで中座しないよう、心して見に行った。

 すると、映画には被害の描写があるではないか。閃光に顔を焼かれた女性。足元に転がる黒焦げの死体。嘔吐する人も描かれていたように記憶する。その場では、これが『オッペンハイマー』の描く広島・長崎かと思った。オッペンハイマー自身は広島・長崎を実際には見ていないのだから、とって付けたようにドキュメンタリーフィルムを2、3カット挿入するよりも、オッペンハイマーの心に閃いた幻影として描くのが正解かもしれないとも思った。

 でも、後で考え直した。あの幻影は本当に広島・長崎なのだろうかと。

 映画『オッペンハイマー』を多くの人が批評している。アメリカ在住の映画ジャーナリスト猿渡由紀さんが紹介するのは海外の厳しい論調だ。「クリストファー・ノーランはこれを反戦映画だと言うけれど、原爆がもたらす惨状よりもフローレンス・ピューの胸を重視するなんて、本当にそう呼んでいいものか」とか「彼は興行成績を気にして、広島と長崎を見せないという自己検閲を選んだ。正直、がっかりさせられた」とか。そして猿渡さん自身は「ノーランのように数多くの観客を集められる監督が原爆の被害をハリウッドの超大作で描いたとしたら、正しい知識を広めることができただろうに」と思い、「アメリカ人に原爆のリアルを知ってもらうチャンスだった」と残念がる。(猿渡由紀「映画『オッペンハイマー』広島の被害描かない疑問 原爆被害のリアルが世界に伝わらないジレンマ」東洋経済オンライン2023.8.2)

 私がこの次にいつ、もう一度『オッペンハイマー』を見ることができるかわからない。そして私は自分の記憶力にいささか不安を感じている。なので断定的なことは言えないのだが、監督のクリストファー・ノーランは、オッペンハイマーが警鐘を鳴らした核兵器と人類の現在及び未来について、ちゃんと立派な映画にしているのではなかろうか。

 フローレンス・ピューが演じたジーン・タトロックの悲劇も、ジーンとオッペンハイマーの幻影を見つめるオッペンハイマーの妻キティの苦悩も、そして密室で延々と続くオッペンハイマーへの攻撃も、全てひと塊りとなって、原子の火をこの世に出現させた人類の未来を暗示しているように思えるのだ。それは、私が若い頃にロベルト・ユンクが書いた『原子力帝国』(アンヴィエル1979)を手に取ったことがあるせいかも知れない。

 『オッペンハイマー』のラストシーンを見る限り、この映画は1945年の広島・長崎で止まらず、そこから先を見ている。だが、それは原爆による被害の現実を描かなくてもかまわないということでもない(観客が上映時間6時間を許容してくれたならの話ではあるが)。

 『オッペンハイマー』では原爆の何が描かれなかったのか。それは広島・長崎のことだけではないと思うが、このことについてもう少し時間をおいてから考えてみたい。そしてできれば、「原爆のリアル」や「正しい知識」ってどんなこと?についても。