人類の自殺102 核の行方12 | ヒロシマときどき放送部

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2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

 核兵器が使われたら世界は大変なことになる。それは核保有国の指導者も(正気である限り)わかっているだろう。では核兵器はこのまま「瀬戸際外交」の道具としてその存在価値を保っていくのだろうか。

 それは困る。私たちはこれからもずっと核兵器に脅かされて生きることになるのだから。しかも本当のことは機密として隠されるから、私たちは何をすべきかわからず、ただ政府の言う通りにするしかない。M・ロアン=ロビンソンは『核の冬』で、1980年代にイギリス政府が国民に示した核戦争を生き残る方法をこう記している。

 

 私たちは、それぞれ自宅にとどまるものと想定されており、そうしない場合には地方当局によって家を接収されるとか、逃げだしても、逃げ込んだ地域では食糧さえもらえない恐れがあるとされているのです。

 私たちは次いでそれぞれの自宅のなかに、緊急用のシェルターを建設するものと想定されています。私たちが利口ではなかったので、自宅の庭に適切なコンクリート製のものをつくっていないだろうというわけです(M・ロアン=ロビンソン『核の冬』岩波新書1985)

 

 家にある「緊急用のシェルター」とはどのようなものか。イギリスの作家レイモンド・ブリッグズが1982年に発表した絵本『風が吹くとき』に出てくるのがそれかも知れない。

 定年退職して郊外に妻のヒルダと二人で暮らすジム・フロッグスは、ある日新聞で、「究極的抑止力として…‥先制の攻撃があるかも知れない」と知る。ラジオのニュースは今にも戦争が起きると言った。そこで役所でもらったパンフレットをもとに作ったのが、部屋の壁にドアを3枚立てかけたシェルターだった。ジムは、政府の仕様書通りの「シェルター」に何の疑問も持たなかった。

 ラジオの臨時ニュースが敵のミサイル攻撃を告げるとすぐに閃光が空を覆った。運よくジムもヒルダも無傷。でも電話は通じずラジオは沈黙したまま。電気も水も止まった。やがてジムとヒルダは訳のわからない頭痛、熱、吐き気に下痢、そして脱毛と出血…‥。二人は日に日に弱っていった。

 それでもジムはつぶやく。

 

 「何も心配することはないさ」「連中にまかしとけ…‥どうしたらいいか知ってるさ」「そう…‥政府当局は、こんな場合のことを知ってるはずだ」「政府はきっと助けに来てくれる…‥」(レイモンド・ブリッグズ作 小林忠夫訳『風が吹くとき』篠崎書林1982)

 

 ジムを笑うことはできない。今の日本でも、机の下に潜り込めば、床にうずくまっていれば、爆風は何事もなく通り過ぎていくことになっている。放射能を持つホコリを吸い込むなんてこともきっと想定外だろう。

 今、世界は軍備増強に突き進んでいる。ロシアの軍事費増加は青天井。アメリカもオバマ政権の時に核兵器の近代化に30年間で1兆ドル以上投じる計画が承認された。ロシアもアメリカも、これまで以上に軍と軍事産業に依存することになるだろう。日本もせっせとトライデント・ミサイルを買って軍事産業の収益向上に貢献しようとしている。

 たとえ核戦争が起きなくても、核兵器が存在する限り「抑止力」維持を掲げて軍拡競争が続き、このままでは私たちは知らず知らずのうちに核兵器に喰い殺されてしまう。

 やはり核兵器は無くすしかない。まだ、声は上げられる。