人類の自殺98 核の行方8 | ヒロシマときどき放送部

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2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

 2023年5月19日、広島で「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」(「広島ビジョン」)が発表された。その中ではこう述べられている。

 

 我々の安全保障政策は、核兵器は、それが存在する限りにおいて、防衛目的のために役割を果たし、侵略を抑止し、並びに戦争及び威圧を防止すべきとの理解に基づいている。

 

 日本を含む7か国は広島の地であらためて「核抑止論」を主張した。核兵器があるから核戦争を抑止できるというのだが、核兵器が持つ抑止力とはそんなに有難いものだろうか。

 1970年代にロッキード社核ミサイル設計部門の技術者だったロバート・C・オルドリッジさんはこう述べている。

 

 私たちの多くは、ペンタゴンがいまでも抑止力(正確には、相手側に恐怖感・懸念を起こさせて、おさえこむ力という意味—訳者)という戦略政策をとっていると信じこんでいる。これがある種の防御手段だと言われているのは、理論的には、ソ連が私たちを攻撃してくるのを抑止している第二撃の対応力—巨大で容認しがたい報復能力—に基づく物だとされているからである。アメリカの報復力が抑止力として効果的であるためには、考えうる最悪の敵の攻撃にも生き残り、しかもソ連側に大量の破壊をひき起こすだけの力でなければならない。(R・C・オルドリッジ著 服部学訳『核先制攻撃症候群』岩波新書1978)

 

 相手がどれだけ核ミサイルを打ち込んできたとしても、こちら側は反撃して相手の国を完膚なきまでに破壊できるので、相手側は恐れて核攻撃をすることも威嚇することもできないというのが「核抑止論」と言えるだろう。

 しかし現実には核をもってしても戦争や核の威嚇を防止することはできていない。むしろ、互いに核の威嚇を行う中で核の「暴発」が起きる危険性がある。1962年のキューバ危機のように、蚊帳の外に置かれた私たちがまた核の恐怖に怯えることになる。核の存在そのものが脅威なのだ。

 また、悪化した戦況を打開するために、戦場で(それはどこかの国でということだが)、自国が滅亡しない程度に「小型」の核兵器が使われる可能性も排除できない。ロシアはすでに多数の「小型」核兵器を持っているというし、アメリカも対抗して5キロトンクラスの核兵器を配備し、それを「使える核兵器」だと言っているのだ。

 アメリカとロシアが核兵器で応戦すればウクライナや周辺の国々は悲惨な事になる。双方が非難の応酬をしている間に死傷者は膨れ上がり豊穣な大地は放射能に汚染される。戦争が終わったとしても国土の復興には気の遠くなるような時間と労力が必要だろう。核兵器があるなら核戦争はいつでも起こりうるのだ。「広島ビジョン」の「核抑止論」はとっくに破綻しているのではなかろうか。

 今年の2月、ローマ教皇フランシスコがウクライナのゼレンスキー大統領に停戦交渉の提案をしたが、ゼレンスキー大統領はまったく顧みようとしなかった。ウクライナもロシアも、互いにまだチキンゲームのアクセルを踏みつづけることができると思っているのだろうか。最悪のシナリオはまだ誰も思い描いていないのだろうか。