人類の自殺95 核の行方5 | ヒロシマときどき放送部

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2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

 ソ連がキューバに核ミサイルを配備したことを知った1962年10月16日、アメリカ政府首脳の多くはキューバミサイル基地への即時空爆を主張した。先制攻撃こそ最も有効な手段であり、ミサイル基地を一気に粉砕したならソ連は恐れをなしてすぐに引き下がるに違いないという考えだ。

 しかし、翌日には慎重論が出た。

 

 十月十七日の午前にホワイトハウスで開かれた会議の席上、マクナマラ国防長官は統合参謀本部の分析を踏まえ、次のような提言を行った。

 「キューバのミサイル施設の全てを完全に破壊するような爆撃は不可能で、多少の取りこぼしは出るらしい。それに、いったん爆撃を実施したら、地上部隊の侵攻が不可欠になる。そうした展開は避けるべきであり、当面は海上封鎖で対処するのが最善だと思う」(山崎雅弘『キューバ危機』六角堂出版2015 Kindle 版) 

 

 少し脅しをかけてソ連の出方を見てからでも遅くはないという意見だ。ソ連が引き下がらずに両国が正面衝突して戦争が始まったら、戦場はキューバだけとはならない。当時、ドイツはアメリカとソ連によって東西に分断され、首都ベルリンも東西に分割されて当時朝鮮半島とともに「冷戦」の最前線となっていた。また当時トルコにはすでにアメリカの核ミサイルが配備されてソ連の都市を狙っていたから、これらの地域でもミサイル攻撃の応酬があれば、カリブ海の紛争が一気に世界大戦へと拡大する恐れがあった。アメリカ本土への核攻撃も避けられない。

 ソ連とアメリカは睨み合いの最中にも着々と核戦争の準備を進めた。10月20日、ソ連はキューバに配備したミサイルのうちまず8基の中距離弾道ミサイルの発射準備を完了した。搭載する核弾頭は1メガトン。

 アメリカも26日になって国内にある核ミサイルの発射準備を命じ、核弾頭を搭載したB-52爆撃機やポラリス型原子力潜水艦はソ連国境近くに接近し、トルコ、イギリス、そして日本のアメリカ軍基地も臨戦態勢に置かれた。全面核戦争が間近という報道に多くのアメリカ国民は水や食料を求めてスーパーマーケットに殺到したという。

 10月27日、米ソ間の緊張は極限に達した。キューバ上空でアメリカの偵察機がソ連の対空ミサイルで撃ち落とされたのだ。キューバ駐留ソ連軍副司令官の独断によるものだったが、アメリカ軍の上層部は直ちに報復爆撃とそれにつづく地上侵攻をケネディ大統領に迫った。

 しかし、ケネディ大統領は熟慮の末にブレーキを踏む決断をした。ソ連に、「フルシチョフがキューバのミサイルを撤去するなら、アメリカは隔離措置(海上封鎖)を停止し、キューバへの軍事侵攻を行わないと約束する」(『キューバ危機』)と伝えたのだ。

 ソ連のフルシチョフ首相は即座に反応した。返事の手紙を書く間にもどこかで暴発があるかもしれない。モスクワ放送を使って「アメリカがキューバに侵攻しないという貴下の約束を信頼し、わが国は貴下が『攻撃的』と表現した武器(ミサイル)を解体し、木箱に収めてソ連へと返送させます」と返答したのだ。全面核戦争をギリギリのところで回避する決断だった。