人類の自殺94 核の行方4 | ヒロシマときどき放送部

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2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

 2024年2月29日、ロシアのプーチン大統領がまた核で脅しをかけてきた。フランスのマクロン大統領が欧米諸国によるウクライナ派兵に言及したことへの反発だろう。

 

 (プーチン大統領は)、ロシアが西側の標的を攻撃できる武器を持っていることを認識すべきとし、「核兵器が使用され、文明が破壊されるかもしれない。それがわからないのか」と西側を非難。ロシアの核兵器は近代化され、世界最大だと主張した。(「ロイター通信」2024.2.29)

 

 この脅しに対して西側諸国はどう対応したらいいだろうか。

 1、文明が破壊されたら困るし、その前に戦争で物価が高騰して国民の不満が高まっているから、ここら辺でウクライナから手を引く。プーチンの思う壺となり、ウクライナは占領される。

 2、プーチンの脅しは口先だけだから相手にしない。苦しいのはロシアの方だから、ウクライナへの通常兵器の援助は続ける。そのためウクライナの戦争は終わりが見えない。

 3、こちらが黙っているとプーチンはますます図に乗るから、ここらでガツンと「核ミサイルを撃てるものなら撃ってみろ」と逆に脅しをかける。すると威嚇はエスカレートして、もしかしたら核戦争になるかも。

 アメリカの核戦略専門家が、これは「チキンゲーム」だと言った。直線道路の両端から2台の車が全速力で走り出す。そのままなら正面衝突してドライバーは二人とも即死。しかし衝突を避けるために先にハンドルを切ったら負けで、チキン(弱虫)と呼ばれてしまう。それが「チキンゲーム」だとか。

 世界は一度、核のチキンゲームを目の当たりにした。1962年10月の「キューバ危機」だ。世界は核戦争の危機に直面し、そのころ我が家にテレビが入ったので、当時7歳の私もニュースを見て恐ろしくなったことを憶えている。

 キューバはフロリダ半島の南145kmのカリブ海に浮かぶ島国。コロンブス以来長くスペインの植民地、その次はアメリカの支配下にあったが、カストロやチェ・ゲバラらによる1959年のキューバ革命で社会主義国の道を歩み始めた。

 それまでの親米政権を倒し、アメリカ資本が独占していた農地を国有にしたカストロ政権をアメリカは敵視し、軍事侵攻やカストロ暗殺を企てた。そこでカストロ政権はソ連を頼り、1962年、ソ連はキューバにミサイル基地を建設する。ソ連はここに初めてアメリカ全土を標的とする核ミサイルを配備することになった。

 アメリカのケネディ大統領がそのことを知ったのは10月16日。すぐに政府首脳を集めて対策会議が開かれ、連日の議論の末に大統領が国民に向けてテレビ演説を行なったのが同月22日。ソ連がアメリカを狙ってキューバに核ミサイルを配備したことを告げ、それを抑えるためアメリカはキューバを「海上封鎖」するとした。

 「海上封鎖」は戦争行為に位置付けられている。アメリカとソ連の全面的な核戦争の序幕となる可能性も十分にあった。ケネディ大統領はテレビ演説の中でこう述べている。「われわれは、勝利の果実さえ口にしたとたん灰と化してしまうような世界的な核戦争の危険を、不用意あるいは不必要に冒すことはしない。しかし同時に、必要とあればいかなる時にも、その危険に尻込みすることもないだろう」と。