人類の自殺61 避難6 | ヒロシマときどき放送部

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2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

 アラートが鳴ってすぐに核シェルターの扉が閉じられたとしたら、高層ビルの階段を必死に駆けって降りてきても間に合わない人が出てくるだろう。そうなるとシェルターの扉は絶望そのものでしかない。

 一方、シェルター内の人たちはしばらく外界から遮断されることになる。その間に何が必要かと考えてみると、水と電気と食料、それにトイレはどうしても必要だ。

 1945年8月の広島では水道の施設・設備にも大きな被害が出た。市内に水を供給していた牛田浄水場は爆心地から2.5km離れていたが、浄水場の変電所からは大きな爆発音が響き、電動ポンプのモーターは火を吹いた。このままでは断水になるところだったが、二人の水道局職員が、けがをおして古いディーゼルエンジンのポンプを修理し、なんとか水の供給を続けることができた。(広島市水道局ホームページ等)

 しかし、原爆によって水道管の破損も多く、市内の至る所で漏水した。焼け残った家では蛇口をひねっても水が出ない日々が続いたが、一方、市内で生き残った人たちは、壊れた水道管から噴き出る水で乾いた喉を潤したのだった。水道管の修理は生き残った水道局職員だけでは間に合わず、兵隊にも修理の命令が出た。

 

 八月十三日

 われわれは水道のパイプ修理だ。破損して洩れる箇所にコルク栓を打ちこむだけだから作業は極めて簡単だ。 (中略)

 水道の破損箇所は至るところにある。コルク栓はいくらあっても足りない。止むなくパイプを折り曲げて洩れを止めてゆく。(「被爆者救護活動の手記集(暁部隊)」『広島原爆戦災誌』)

 

 水道管の破裂による断水は現代においても深刻な問題だ。2024年1月1日に起きた能登半島地震の被災地では懸命の復旧作業が続いているが、1月12日現在でもまだ水の出ないところが多い。

 これが核攻撃となるとどうなるか。長崎と同じ20キロトンの原爆が現代の都市の上空でさく裂したとするシミュレーションがあるが、これによると、爆心地から半径1km以内で上水道の埋設配管が壊滅、1.6km以内にあるポンプ場が使用不可となり、3km以内の建物内の配管に不具合が生じるという。(『核兵器使用の多方面における影響に関する調査研究』外務省2014)

 1945年8月の広島で救護活動にあたった陸軍船舶練習部第十教育隊の斉藤義雄隊長は、被爆当日に水道管の修理にあたった人たちが次々と倒れたという話を耳にした。負傷者の救護にあたった第十教育隊の兵隊たちも多くが下痢に悩まされながらの活動だった(「被爆者救護活動の手記集(暁部隊)」)。核爆発の場合は他の自然災害以上に復旧工事が困難となるのだ。

 そうなると核シェルターの中では、水は備蓄に頼るしかない(食料もだが)。一人1日飲料水が3リットル必要だと言われるが、閉ざされた空間に水が果たしてどれだけ保管されているだろうか。不特定多数が入る公共のシェルターでは、水がいつまで持つのか、それこそ「蓋を開けてみるまで」分からない。

 また水は飲むためだけではない。歯磨きや風呂は我慢するとしても、トイレだけは必要だ。しかし、水洗トイレが使えないとなれば、今度は一体どれだけ簡易トイレを用意しておけばいいのか。閉ざされた空間では、排泄物の置き場所にも困るというものだ。