人類の自殺60 避難5 | ヒロシマときどき放送部

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2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

 第二次世界大戦後の東西冷戦、2001年にアメリカで起きた同時多発テロ、そして2022年に始まったロシアのウクライナ侵攻。こうした核戦争の危機が高まる時にはいつも核シェルターに関心が寄せられるという。スイスでは普及率100%なんだとか(ただの地下物置だという話もある)。

 私は核シェルターを見学したこともなければカタログを取り寄せたこともない。どのように管理運用されているのかを聞いたこともない。なので、1945年の広島の実例から核シェルターについて考えてみることにする。

 2023年7月20日の「朝日新聞GLOBE+」に「シェルター 現代の『方舟』をたどって」という記事があった。NPO法人「日本核シェルター協会」が茨城県つくば市に建設したモデルルームの紹介もしている。大人4人と子ども3人、それに犬一匹が2週間避難する想定で、水や食料、衛生用品なども備蓄するという。

 

 地上出入り口のドアを開けるとすぐにコンクリート造りの階段が地下へ続く。20段ほどを下りると、分厚い防爆扉があった。鉄筋コンクリートの枠にコンクリートを流しこんだもので、厚さ20センチ、重さ約1トン。ドアの外側を300度で2時間熱し続けても、内側の表面は15度しか上がらないという。

 そんな重たい扉を開くと、物置を兼ねた広さ12平方メートルほどの気密室兼除染室があり、さらに扉がもう一枚ある。この扉の奥がメインのシェルター個室だった。(中略)

 中は約22.5平方メートル、高さは2.8メートルあり、思ったより広々とした印象だ。スイス製の換気装置を備え、蓄電池も用意してあった。スイスの規格にならい、緊急用の脱出口もある。(「朝日新聞GLOBE+」2023.7.20)

 

 お値段は地盤改良費も含めて約4000万円とのこと。私にそんなお金があったら山奥にある古い自宅を建て替えたいが、なんにしても先立つものがないので自宅に核シェルターを作るなんてまさに夢物語。

 でも、たまに市内中心部に出かけることもあるから、そんな時に突然アラートが鳴ったら、近くに安全な避難場所があるに越したことはない。

 核シェルターの記事を読んで重要だと思えるのが、核爆発による爆風をくい止める防爆扉と放射能を持った塵をシャットアウトする気密扉だ。さらに、放射能を持った塵を除去するフィルター付きの換気装置を保護するためリモコンで開閉する防爆扉も必要なはず。

 これらの設備が備わってないと核シェルターとはいえない。でも、広島市にある地下街なんてわずかなものだが、改修してこのような設備を導入するとしたら、費用はいったいどのぐらいかかるのだろう。

 そして公共核シェルターで悩みの種は、その扉をいつ閉めるのかということではなかろうか。アラートが鳴ったらすぐに閉じてしまうのか。それともできるだけ多くの人を受け入れるために開け放しておくのか。でも開けっ放しなら爆風も放射性物質も入ってくるし、地上が大火災なら煙が入ってきて一酸化炭素中毒の心配もあるのだ。

 1945年7月1日の呉空襲では、呉市和庄地区にあった巨大な横穴防空壕に避難した人たちが焼夷弾による火災で窒息死している。死者は800人とも1000人とも言われる。

 では、核シェルターの扉をいつ閉めるべきかを誰が決断して実行するのか。難しい問題だ。