こうの史代さんの漫画『この世界の片隅に』に(アニメも)、呉から見た「きのこ雲」が描かれているが、それは尾木正己(おき まさみ)さんが撮影した写真が元になっている。
当時机に向った体に間接的な尖光を感じながらも兵器の設計に余念がなかった。ところがつぎの瞬間鉛筆を持った手が浮き上るような衝動を受け、近くに何か大事が起ったのであろうと云う悪い事態を予想していた。
当時私は爆心地から20キロメートル離れた吉浦(呉市吉浦町)の呉海軍工廠火工部設計係において室内で作業をしていた。状況から判断して到底爆弾位のものではなく広島市近郊で火薬庫の誘爆だろうと云う見方が強かった。数分後もくもくと上るきらびやかなキノコ雲に数枚のシャッターを切った。(尾木正己「原爆体験記」広島原爆死没者追悼平和祈念館)
この「きのこ雲」を、小川文夫さんらによる「広島原爆きのこ雲写真からの高さ推定」(『情報処理学会研究報告』2010)は、高さ10.6km、幅5.6kmと推定している。エノラ・ゲイの乗組員が撮った「きのこ雲」より3000m高くなっているが、広島の「きのこ雲」の写真で最もよく知られている、笠の部分が大きく開いた「きのこ雲」は高さ15.5kmと推定されているので、それと比べると、まだ「発展途上」ということになる。雲の形も「きのこ」のイメージではない。下から下から新たな雲が膨れ上がって連なり、「巨柱」と表現されるのも頷ける。
この「きのこ雲」の高さ10.6 kmを今中哲二さんの「広島原爆炸裂の初期プロセスについての考察 リトルボーイノートより」(日本放射化学会『放射化学 第34号』2016)にある核爆発のシミュレーションに当てはめてみた。すると、原爆のさく裂により地上から600mのところに出現した火球が高度10000mに達する時間は7分となるようだ。尾木さんが数分後にシャッターを切ったという証言と一致すると見てよいだろう。
ところで、東京大学大学院教授の渡邉英徳さんは尾木正己さんが撮影された「きのこ雲」の写真をカラー化されているが、ツイッターで紹介された最初のバージョンは白黒の雲だった。しかしアニメ「この世界の片隅に」の監督片渕須直さんのアドバイスで修正を重ねられ、今は一番上の雲の塊がオレンジ色に染まっているように色付けされている。
片渕さんはツイッターで、オレンジ色の根拠として二酸化窒素をあげられている。ネットで調べたら、何か物が燃えたら二酸化窒素のガスが発生し、そのガスの色は赤褐色だとされるので、それで「きのこ雲」が赤っぽく見えることもあるだろう。
しかしどうも腑に落ちない。それは気象台の観測ではさく裂1~2分後には「火の玉は消失するとともに白い煙のような雲に化して更に高く昇った」(広島管区気象台「気象関係の広島原子爆弾被害調査報告」1947 )とあるからだ。原爆のさく裂から7分、てっぺんが高度10000mに達した時点での「きのこ雲」とは、いったいどのようなものだったのか。