ヒロシマの記憶28 「きのこ雲」が消えるまで8 | ヒロシマときどき放送部

ヒロシマときどき放送部

2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

 広島の原爆は核分裂が始まってから3秒後に表面温度が1700℃まで下がりエネルギーを出し尽くしたと考えられている。(朝永万左男他「核兵器使用の多方面における影響に関する調査研究」外務省委託研究2014)

 そして今中哲二さんが紹介するシミュレーション(今中哲二「広島原爆炸裂の初期プロセスについての考察 リトルボーイノートより」日本放射化学会『放射化学 第34号』2016)によると、火球の中心温度はさく裂から60秒後には400K(ケルビン)まで低下する。1Kはマイナス273.15℃だから、400Kは約127℃。火球はもう燃えているとは言えない。

 今中さんはさらに原爆雲(「きのこ雲」)の温度変化も推測されている。それによると原爆のさく裂から8分後が296K、約23℃だ。尾木正己さんが撮影した「きのこ雲」がさく裂から7分後と推定できるが、その時の雲の温度もほぼ同じとみてよいだろう。

 この時、「きのこ雲」のてっぺんは高度10kmに達していた。大気の温度はマイナス50℃の世界だ。それでも雲の温度はプラス23℃だから浮力は十分あり、さらに膨張しながら上空に上っていったと考えてよさそうに思える。

 雲の色はどうだろう。二酸化窒素のガスは294.3K、21.2℃以下で液体になるというから、この時点でガスの色はほとんどなさそうだ。とすれば「きのこ雲」の笠の表面は、気象台が観測したように、積乱雲のように白く見えたのではないか、と私は想像する。

 最後が、広島の「きのこ雲」として最もよく知られているアメリカ軍が高空から撮影したモノクロの「きのこ雲」だ。これは小川文夫さんらの推定では高さ15.5kmまで上昇している。形は「きのこ」が復活し、「笠」の部分の幅は20.2kmという巨大なものになっている。(小川文夫他「広島原爆きのこ雲写真からの高さ推定」『情報処理学会研究報告』2010)

 そして、この時の太陽の方位と角度から、撮影時刻は原爆のさく裂から1時間後と考えられている。また推定された撮影位置は爆心地から約56km離れた愛媛県松山市の上空。撮影高度は8680mだ。(馬場雅志他「広島原爆きのこ雲写真からの高さ推定」広島“黒い雨”放射能研究会『広島原爆“黒い雨”にともなう放射性降下物に関する研究の現状』2010)

 この「きのこ雲」の「笠」部分の上側は露出オーバーかもしれないが、白色に感じられる。そしてその裏側は、太陽に当たっているところでも濃い影が見える。まだ色が残っているのだろうか。

 「きのこ」の軸の部分は「塔状」というより、雲の塊をめちゃくちゃに積み重ねた感じだ。その中間あたりからは西に向って雲が拡がっている。その下でおそらく「黒い雨」が降っているのだろう。

 地上部分は倉橋島などの海岸部以外ほとんどが霞んでいてよく見えない。

広島管区気象台「気象関係の広島原子爆弾被害調査報告」より

 この写真に対応するのが広島地方気象台のスケッチ(d)だ。さく裂から30分前後の「きのこ雲」が描かれている。その形は、気象台の説明では「巨大な塔状の積乱雲」となり、市内の大火災で一日中発達した。そして傷ついて悶え苦しんでいる人々の上から放射能を持つ「黒い雨」を降らせた。