昔私F1にはまっていた少年青年期、ベルガーを応援していました。
なぜかって?うーむ、最初は正直なところ明確な理由ありませんでした。
セナプロ+マンセル全盛期の1990年前半でしたが、
セナはミーハーな気がし、
プロストは地味すぎる気がし、
マンセルはヒゲが生えてたし(?)
そこで見かけたのがベルガー。
チャンピン達にまみれて、なんかヒョウヒョウと、いい加減そうで、意外に目がクリっとしたベルガーを見かけ、
当時ギスギス緊張感があるF1の世界で一人どこ吹く風、呑気なオーラを出しており、
天邪鬼な心も働き応援しよう!と決めました。
なんかいつもテキトーオーラ出してヘラヘラしてました。
でも応援し始めるとこれがヤキモキさせるのです。
多分結構速いんです。
でも安定感がない、粘りがない、運がない、
で思った結果がなかなか出ません。
それがゆえに、すさまじく応援しがいがあります。
勝てない訳でない、でもいつも上手く行かない。
えー、すごいヤキモキします。
そしてどんどん応援にのめり込んで行ったのです。
やればできるのに、いつもできの悪い子ほど可愛い?
第一次フェラーリ時代。ドッカンターボマシンを操るほうが合ってましたね。
普通のドライバーの応援ならモヤモヤするだけで終わりますが、ベルガーの場合突然に要所要所で記憶にのこる勝利をカマすのです。
いっつも、もうベルガーももうダメかああ・・・と思わし、突然覚醒して勝利し、また元のベルガーに戻る・・・
この作戦に見事にやられ、キャリア終盤の方はそりゃ実の親が子供を応援するくらい真剣に応援してました。
キャリア初期、ベネトン初年度のメキシコで初優勝 デコボコ高速のメキシコでは相性が良かったですね。
記憶にのこる勝利と書きましたが、彼のキャリアで通算10勝してますが、
どれも色んな意味で印象に残る勝利になっています。
wikiより
初優勝…1986年メキシコGP - 自身の初優勝が、ベネトンチームにとっての初優勝。
2勝目…1987年日本GP - 低迷していたフェラーリにとって、1985年ドイツGP以来となる2年ぶり・37戦ぶりの勝利。自身初のポール・トゥ・ウィンでもある。
3勝目…1987年オーストラリアGP - 1981年モナコGP-スペインGP以来、6年ぶり・104戦ぶりとなるフェラーリの連勝であり、自身にとって唯一の連勝。
4勝目…1988年イタリアGP - エンツォ死去直後に地元での1-2フィニッシュ。またこの年マクラーレン勢以外での唯一の勝利。
5勝目…1989年ポルトガルGP - 参戦した15戦中12戦リタイヤというシーズンの中、完走した数少ないレースで挙げた勝利。
6勝目…1991年日本GP - 最終ラップの最終コーナーで、セナに露骨に譲られた形でのマクラーレン移籍後初勝利。
7勝目…1992年カナダGP - チームメイトのセナや当時、コンストラクターズポイントランキング独走中のウィリアムズ勢がリタイヤする中、着実なレース運びで2年前のリベンジを果たす。自身初めて9月以降の開催でないレースで勝利し、また、マクラーレン移籍後自力で得た初の勝利でもある。
8勝目…1992年オーストラリアGP - ホンダの2期活動における最後のレースで優勝。2006年にジェンソン・バトンが勝利するまで、ホンダエンジン最後の優勝であった。
9勝目…1994年ドイツGP - 低迷を続けていたフェラーリにとって、1990年スペインGP以来となる4年ぶり・59戦ぶりの勝利。自身2度目のフェラーリ復活の勝利。
10勝目(最終優勝)…1997年ドイツGP - 3戦欠場後、復帰レースでの完全勝利。自身最後の勝利が、ベネトンチームにとっても最後の優勝。
なんか殆どの勝利は秋以降・・・かなりスロースターターです。やる気になるまで時間かかりますねー
1989年のフェラーリ。この車がフェラーリで一番カッコイイです!でもこの年11戦連続リタイア・・・
個人的に特に記憶に残る勝利としては、
1988年のイタリアGPと1997年のドイツGPです。
イタリアGPは、かのエンツォ・フェラーリの死後の初めての本拠地イタリアのGPでした。
この年、ホンダ+セナプロを擁したマクラーレンが無敵の強さでしたが、唯一優勝を逃したのがこのイタリアGP。
それも終盤セナが1位を走行中に周回遅れと接触、リタイア。その瞬間ベルガー・アルボレートのフェラーリワンツーフィニッシュが決まりました。
観客は大騒ぎ、弔いGPとして異常な盛り上がりとなりました。ベルガーのここぞの強運が何かを引き寄せました。
値千金のフェラーリお家での勝利
もう一つの1997年はもっと感動的でした。
すでにキャリア終盤で、低迷のベネトンで結果が全く出ず、また蓄膿症の悪化で三戦休み、
その間に代役で出走したブルツが好走したのもあり、そのまま引退という噂が流れました。
さらに追い打ちで実の父親が飛行機事故で亡くなる、という今までのお気楽ベルガーからは考えられない数々の不幸が彼を襲います。
心が折れそうになるのを奮い立たせてドイツGPよりとにかく復帰する事になりました。
私的にはとりあえず出走してくれるだけでもホッとしたのを覚えています。
決勝の際、いつもTVで見る時にスターティンググリッドの映像でベルガーがどのへんか目を凝らして見るのですが、
(そしてこの年はベネントンは常に中団に沈んでいたのでだいたい確認できません・・・)
最前列にベネトンらしき車を見た時、まさかと心臓がとまりそうになりました(大げさ)
そう、なんと復帰直後でポールポジションを獲得したのです。
そしてそのまま完璧な走りで優勝。
いつもの落ち着きない走りではなく、一周一周力強く、何かを振り払うように力走しトップでチェッカーを受けました。
ええ、泣きました私。
こんな感動する復帰劇はありません。
最後まで何かやってくれるドライバーでした。
結果的にこれが最後の勝利に。心労で髪の毛が・・・・?
結局この年をもって引退するのですが、彼は最後の古き良きレーサータイプのドライバーでした。
F1に全てを捧げる、というよりは人生楽しく、女も大好き、イタズラ大好き、
高速コーナーはドライバー最速だけど低速コーナーは嫌い、
何とも特徴ある魅力的ドライバーでした。
マクラーレンに移籍しセナの同僚になったところくらいから、無理してセナに追いつこうとし、
自分のスタイルを見失い、そこから迷走した感があります。
そのまま何も考えずゴキゲンに走ってればそこそこセナと張り合えたと思うのですが、そこは残念です。
(実際移籍直後の序盤は運が悪かったとはいえ、そんなにセナと差がありませんでした)
マクラーレンという糞真面目なチームもベルガーにとっては合っていたという感じはありませんでしたね。
マクラーレン移籍初年度はマシンも彼の長身に合わず未勝利に。
カナダでは1分ペナルティ(!)を受けた後覚醒しトップでチェッカー。ペナルティ加算後でもプロストの前4位に。
いつもその走りすれば勝てるのに!・・・・ってそれがベルガーなんですけど。トホホ。
でもベルガーの人間性を良く物語っているエピソードはやはりセナと組んでいたマクラーレン時代に多いです。
セナといえば勝利の為に全てを捧げ、全ての敵を排除し、という荒んだものでしたが、
ベルガーと組んでいたこの時代だけはベルガーの天性のお気楽さにより、セナも人間味を少し取り戻していました。
結局セナの真のライバルに成り得なかった事が親交を深めた?
ヘリで一緒に移動している時に、セナの超合金アタッシュケースをベルガーが空から投げ捨てたり、
セナのパスポートの写真を、男のナニの写真のアップに張り替えたり、
おおよそ一般時には考えられないイタズラで、セナのカタさを柔らかくしてました。
1991年、鈴鹿の予選でセナを凌ぐも、本戦ファイナルラップでセナが勝利を譲り物議を醸す事件も。
F1の世界ではいい人は成功しませんが、ベルガーの場合は愛すべきこのキャラクターで良かったんだと思います。
超一流のドライバーではありませんでしたが、何かを期待させる、記録より記憶に残るドライバーでした。
1989年サンマリノでクラッシュ炎上も奇跡的にかすり傷で生還奇しくも数年後同じ場所でセナがクラッシュ、命を落とす事に・・・
いろいろヤキモキさせられましたが、今となってはいい思い出です。
ドライバーとしては天然の速さを持ちながら、どこか真剣になりけれずフワフワとF1の世界を渡り歩き、
時折覚醒して優勝をさらう、そんないい加減だけどやる時はやるベルガー、最高でした。
後年一時期トロロッソオーナーだった事も。スーパーおっさんになってしまいました・・・