愛媛旅(2) 臥龍山荘 | 福田町電車区

盤泉荘を見学した後、次に向かったのは「臥龍山荘(がりゅうさんそう)」。

 

臥龍山荘は肱川流域随一の景勝地「臥龍淵」に臨む三千坪の山荘で、大洲藩3代藩主加藤泰恒が「蓬莢山(ほうらいさん)が龍の臥す姿に似ている」ことから「臥龍」と命名したといわれているそうです。

ちなみに蓬莢山とは、肱川に浮かぶ小さな島で、臥龍山荘のすぐとなりにあります。かつては臥龍山荘と橋で繋がっていました。

 

 

 

▲ 臥龍院。

 

現在の山荘は明治時代以降に建てられたもの。臥龍山荘は、歴代藩主の遊賞地でしたが明治時代になると補修されることもなく自然荒廃してしまったのです。

明治30年、木蝋の輸出で成功を収めた大洲出身の貿易商河内寅次郎が購入し、「老後の余生をここで過ごしたい」と大洲随一の景勝地であるこの地に10余年をかけて別荘を築造し、現在の姿となったのです。河内寅次郎は、明治42年10月に亡くなりますので、ここでの居住はごく短期間であったそうで。

 

▲ 臥龍院から庭園を眺めた写真。

 

▲ 不老庵。

 

▲ 不老庵は、臥龍淵を眼下に見る崖の上に懸り造りに建てられた数寄屋造りで、庵そのものを船に見立てて作られており、天井は竹網代一枚張りを船底の形のような形にしてあります。対岸の冨士山右端から月が昇り、天井に反射して部屋を明るくする巧妙な趣向が施されています。

 

 

 

臥龍院・不老庵の他に、「知止庵」もあるのですが、写真を撮り忘れておりました・・・。