以前、とある国公立病院の先生と飲みに行く機会があり、
現在の日本の受験制度について、どう思うか?
みたいな話になりました。
私は英語について、今取り組みつつあるとは思うけど、読む書くを専門家レベルまで覚えてるかみたいなんじゃなくて、その量を減らして聞く話すを増やして、もう少しバランスをとった方がいいと思うみたいな話をしていましたが、
先生は、細かい部分は色々と問題もあるけど、今になって思うのはすごい公平な制度でいいと思うんだよね、とのご意見。
どういう意味か分からずに聞くと、
その人のバックグランド関係ないでしょ、
とのこと。
例えば、親が賢い、賢くないや、金持ち、貧乏だとか、どの高校いった、どの塾いった、だとか、都会か田舎、障害があるかないか、非行少年だったかなど関係なく、勉強したかしていないかだけで、どこでも自分の行きたい大学に行けるし、その後の仕事を決められる、と
先生はおっしゃっていました。
確かにそうです。そう考えると、受験はすごく公平な制度。
まあ、勝ち抜いた側の意見というのもありますが、すっと受け入れられた意見でしたし、公平性を担保するためには必要な制度なんだろうなというのは感じました。
そんなことが頭の片隅にあって、そういえば、サッカーはどうだろうみたいなことを最近考えていました。
例えば、試合に出る、スタメンになる、トレセンに選ばれる、サッカー推薦をうける、セレクションに受かる、プロになる、日本代表になる
というのが一体どういう基準で選ばれて、どういった要素が必要なのか、
トップレベルになればなるほど、最近になってかなり数値化されたり言語化されたりして、標準化しつつある段階だと思いますが、今のところすごく曖昧ですし、おそらくいくら精度が上がっても、そうやって選んだから、だけでいいサッカー選手を見いだせないだろうというのは何となくわかります。
例えば、身近なところで考えると、次男のクラブチームで、今コーチが選んでいるメンバーと、私がもしコーチだったら選ぶメンバーは違います。で、コーチをしている私の友人が次男チームのコーチだったら、たぶんメンバーが違います。
それは、今の次男のチームメイトのほとんどはある程度のレベルにあるので、そこからは選ぶ側の主観が関係してきます。
そうなると、次男のコーチ、私、私の友人で、見ているサッカーが違うし目指しているところが違うので、メンバーも変わってくるということです。
私は守備寄り、友人は攻撃寄り、今のコーチはジュニアユースを見据えたメンバー寄りになると思います。
また、例えばうまい子ばかりが集まったチームに所属していた、同じポジションに優秀な選手がいっぱいいた、コーチが変わったなどでも、立ち位置や将来への道は違ってきたりします。
そういう前提で、表題の件を考えると、
結論、サッカーは全く公平でない、
ということです。
誰が試合に出て、誰がトレセンに選ばれて、誰が推薦受けて、みたいなことは、誰もが納得できるような公平性はなく、もっと極端に言うと、不公平である、という前提で考える必要があるということです。
要は、不公平と思うことが起こりうる習いごとであって、それを理解した上で子供に習わせているという認識が必要で、うまいから試合に出れるわけじゃない、プロになれるわけじゃないというのを理解しておかなくちゃだめですよという習い事がサッカーです。
公平なジャッジを求めるなら、お勉強で勝負しなさい、
不公平な世界だけど、がむしゃらに何かを掴んで這い上がっていく、ということを子供に体験させてあげたいと思うなら、サッカーもあり。
というくらいの感覚で考えていた方がいいのかもしれません。