蘇州市 『闇夜に響く、伝承の壺』 | この世の全てが、地図や本の中にあるわけではない。

この世の全てが、地図や本の中にあるわけではない。

散歩話をちょい長めの文章で、我がまま気まま、独断と偏見で綴ります。
昔の日記を書き起こしながら、最近の事柄も綴るので、ブログ内はぐちゃぐちゃになりう。

2005/3/28の日記です。

 

 

昨日からの雨は、一向に止む気配を見せなかった。
傘のない僕は、雨具を深くかぶり、朝食を求め街をうろつくが、場違いなところばかり徘徊した。   

それにしても土地を埋め尽くすようなビル群。日本のそれらと違い、個性的なデザインがなされている物も多い。

西欧の気品をかもし出す美しいビルや、遊び心のある建物も目にする。

僕のイメージする中国現代建築が、東方明珠電視塔(オリエンタルパールタワー)だったため、驚いた。

 


(『こんな建築が許されるほど、中国は自由な国である』by Communist Party ネット上より拝借)

 

お年寄りはまだ着用していると思っていた人民服も、目にすることはない。
若者の中には、ジーンズを腰までずらし、髪を染めたりと、アメリカのまね事が全てにクールと、日本と何ら変わりない。 

ここにはもう、想像していた中国はなかった。

日本の漫画キャラクターや、サンリオ系グッズもよく目にする。
時々、日本ではと錯覚するが、言葉が通じず、街角にはゴミが投げ捨てられている。

それにしてもにぎやかで活気がある。
日本に来た旅行者が「サムライもハラキリもあ~りません!
スシも毎日食べません。」と言っているステレオタイプだな、僕は。

発展の著しい上海に来たのだから、もう少し居座りたいと思ったが、ボロ宿の人間はいぜん不愛想で、今日もシングルは満室だと言い張る。
だいたい客の姿を見た事がないぞ。
夜中も部屋の鍵がほぼ全てロビーに掛ったままだ。
このうっとしい雨も、受け付けの娘達が降らしているのではと思えてくる。


今更雨の中、安宿を探す気にもならないし、ここを出るならいっそ次の目的地に行ってしまえと、朝の10時には小雨の中、進路を西に自転車を走らせた。

 ガイドブックに頼るのは、全てお膳立てされた団体旅行者と同じだ。
周るコースも、見る物も皆と同じで、テレビの旅番組で見た光景をたどるだけ。
旅ぐらい気ままにさせてくれ!

と、ガイドブックは持たずにやって来たのだが、安宿、旨い飯屋、レートの良い両替所、移動に便利な地図、それら全ての情報が手っ取り早く入手出来るのだろう。
現地の相場も記載されており、支払いで駆け引きなどせず事が進むのは、なんて楽なんだろう。
みんなと歩調を合わす事にどうも邪鬼な僕は、旅を、いや人生を相当無駄に、困難にしてきたのではないだろうか。

確かに上海は、想像とはかけ離れていたが、昔テレビで見た通勤自転車のラッシュは健在だった。
バス、タクシー、乗用車、バイクそして自転車が無秩序に朝の交差点で入り乱れ、隙あらば幅寄せする。
電気バイクが多いのには驚いた。環境問題最前線の西側ヨーロッパでも、普及しているなんて聞いた事がない。

とにかくラッシュは半端なく、それが上海郊外まで続いているのだ。
僕はそれらの流れにのみ込まれながら『やって来たのだ、ここはもう異国なのだ!』となぜか笑いがこみ上げてくる。
旅が始まった事を体で感じている。
嬉しいのか、期待に胸を膨らませているのか、周りは渋滞で眉間に縦シワを浮かべている人も多いと言うのに、ヘラヘラと笑いが止まらない。 

中国の主要道は広くて走りやすい。

日本とは違い、車道の横に十分な自転車と歩行者のスペースが取られている。
それが理想的に都市と都市を結んでいる。
土地は全て共産党の物なので、道路建設は自由に行われるのだろう。
軍隊も人民のものではないので、財産、権利、命までも踏倒せる。

しかし、良き指導者が立てば、国会でのグダグダなどなく、邁進できるのであろう。(銀河英雄伝説の見すぎかな?)


都市郊外に出てからも、ビルや工場の建設ラッシュが一向に途切れる事はなかった。これがこの国全土で行われていると思うと、中国製品が世界に出回っている事がうなずける。

この先この国は一体どこまで発展してゆくのだろうか。隣国日本の行く末が不安になる。

自転車の横をまたトラックが資材を満載にして走り去る。
そのたびに細かい砂を巻き上げ、目に入り、喉も痛くなり、鼻クソもたまる。これが本場で味わうタクラマカン砂漠の黄砂なのかと、なぜか楽しくなる。

覚えたばかりの片言中国語は、発音の悪いせいか役立たなかったが、人々は親切で、なんとかジュン君の住む蘇州市(そしゅう)に辿り着いた。

もらった住所と電話番号の書いた紙を片手に、公衆電話から連絡を入れる。


電話に出たのは女性だった。中国語をたたみ込むように浴びせかけられ、対応できないこちらを怪しく思ったのか、あっという間に電話は切られた。
『やばい!ここまで来たのにジュンに会えないのか』

少しばかり時間を置いてから、もう一度かけなおすが、また同じ声の女性が出た。
切られてはまずいと「ジュン」と「朋友(友達)」と言う単語を、あらゆるイントネーションで連呼する。
すると女性は、ジュン君を呼びに行ってくれた。

とにかく中国語の発音は狂気的に難しい。たった5つの母音しか持たない日本語に対し、中国語には37種類あり、さらに子音と交わると400をこえるイントネーションになるとか、そんな話をフェリーで聞かされた。

日本人は英語の聞き取りが苦手だが、中国人は聞き取りが強いのは、この為だろう。
その上、中国では子供から漢字博士なのだから頭が下がる。

自分の場所がわからず、通行人を呼び止め電話に出てもらい、ジュン君に場所を告げてもらった。
嫌な顔せず、引き受けてくれた通行人さんに謝謝。

数十分後、高速道路高架下の繁華街まで、彼が迎えに来てくれた。
待ち合わせた場所は、まだまだ古いビルがひしめきあう下町で、中華料理の油を熱した香りが、所々で鼻をかすめる。

ジュン君は日本での留学を終えた中国人で、日本での就職が決まらず、中国で日本語を生かせる企業を見つけるべくフェリーで帰国途中に僕に捕まった青年だ。

フェリーで彼と話をしていると、僕が今から走る道近くに彼の家がある事が分かり、彼が僕を家に招待してくれたのだ。

彼の家はマンションの一階にあった。家族が総出で迎えてくれ、夕食にはお母さんがテーブルせましと、ご馳走を並べてくれた。
(この辺りの写真はいずれ貼り付けますね。)
大皿にもられた料理は、どれも見たことのない物ばかり。
それを長く先端が細くなっていない箸で、皆で取り合う。
僕は手を合わせ、お母さんに会釈してから「いただきます」と日本語で感謝する。
その言葉の意味を、ジュン君は皆に説明しているようだ。

味も初めて味わうものばかりで、これが美味しく米が進む!
これが家庭の味かぁ、お母さんありがとうございます。

僕の電話に出たのはお母さんで、その電話をいたずらだと思ったと、食卓は和む。
皿洗いぐらいしなければと願い出たが、そんな事お客にしてもらったら示しが付かないと断られた。

就寝はジュン君の部屋に、お邪魔させてもらう事になった。
布団を用意してくれようとしたが、僕はマットと寝袋を持っているのでとお断りして、彼の部屋の片隅を借りる事にした。

彼のベッドの下には美しい模様が描かれた、小さいバケツぐらいの壺が置かれてあった。彼が花をさすように思えない、でも使われているようでもあった。
「それ一体何に使うの?」と聞くと
「ここにおしっこするんだよ」と言う。
「なぜトイレに行かないの?」部屋が臭くなるだろに。
「冬の夜は寒いだろ、わざわざトイレに行くのは大変だ、だからこれを使うんだよ。これはこの辺りから北の方の文化さ。北京では皆使っているよ。」と便利な一品を誇らしげに語った。

この辺りの冬は、トイレに行けないほど寒いのだろうか。的をしぼりにくそうな女性もこの壺を使っているのだろうか?
近寄ると、少し液体が見えた。
臭ってきているわけじゃないが、機密性の高いこの部屋では、ここち良い物ではなかったが、これも異文化交流である。

電気を消した彼の部屋で、お互い横になりながら話した。
彼は言う「なぜ仕事辞めて旅をするのか、そんなの無意味だよ。お金貯めて結婚すべきだ!」と。
討論を試みるが、言い負かすほど旅が好きというわけでもなく、自身すら納得させる答えを持っていなかった。
「旅の意味かぁ」
外からの街灯の光に、うっすら浮かび上がる天井をぼんやり見た。

日本では友達が出来なかったとつぶやく彼。
以心伝心、暗黙の了解で調和を大切にし、思った事をぐっとこらえる日本の国民性。
たわいもない事でも自分の意見をどんどんぶつけて来ては、話がスムーズに進まなくなる。そんな彼を受け入れるのは、少し難しい気がした。
これが大陸の人間と言うものなのか、それとも彼の性格なのか、いや離島国日本が特別なのかもしれない。

明日はジュン君が蘇洲を案内してくれると言う。
彼の話によると寺の拝観料はやたらと高い。こちらの平均日給の60%ぐらい取るという。
そう言えば、日本でも観光地では入場料を取っているが、一体何にあてているのだろう。
一般のお寺は、一切入場料を取っていない事を思うと、維持費にしては高すぎるではないか。税金も免除。
日々糧となるの托鉢など、聞いたことがない。

僕はこの辺りの朝市も見たいと、付け加える。

明日はゆっくり出来そうだ。ありがたい、足がすでにパンパンだったのだ。
自分の非力を、情けなく思う。

現地の人の家に泊まると、その土地の習慣や風習、食べ物など文化に触れられる。
これは全く飽きさせなかった。何より彼らを身近に感じられるようになり、彼らを理解したくなる。
このような恵まれた機会が、この先もあるのだろうか。
とにかく彼には感謝だ。
そしてお互い話疲れ、眠りについた。

夜中の2時頃、ごそごそと音がしたので目が覚めた。彼がベッドから起き上がる音がしたかと思いきや


「ジョジョジョジョジョジョ」


壺の中で泡立つ音が、暗闇に響き渡った。


「ビョ、ビョ」


最後の一絞り

「ビョ!」


の後、彼が再びベッドに沈む音がし、静寂が戻った。

暗闇での一連の流れ、手慣れたものだ。
しかし、おつりは帰って来ないのだろうか?
手を洗わないのが作法なのか?

中国4千年の歴史が生み出したこの便利グッズ。

残念ながら日本では絶対に流行らず、寒い夜は相変わらず寒さに凍えながら、トイレに駆け込むのであろう。

 

 

 

 

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