きょうの日記は、語弊があるかも。
ひとつの考え方ってことで。
死んだら、「あの世」があるとして。
死後の世界は、とっても「いいところ」で、
この世での「いいひと」しか、はやくあちらへは
行かれない。
「なかなかじいさんが迎えが来ない」となげく婆さんには、
『だれもあっちから還ってきたひといないんだから、
きっといいところなんだよ。
たのしくって婆さんのことなんか忘れちゃってるよ』
こっちでもイキイキしてなきゃ。
『「あっちが痛い・あれしてもらえない」と文句ばかり言ってると、
あっちだってイヤなんだから、迎えなんかこないよ』
といってみる。
心臓とかの、致死率の高い病気になったら、
「行いがよかったから、ぽっくり逝けるね」
といってみる(おもってみる)。
(昨今、じぶんの思い通りには、なかなか死ねません)
これを、お付き合いの長いひとたちに言って、
よろこばれたことはあっても、嫌われたことはありません。
(たぶんですが。)
「あの世」のことは、大昔から世界中で、いろんなひとが、
いろんなふうに言っています。
ってこたぁ、「あの世」はあるかもしれないけれど、
「こういうところ」とは言い切れませんね。
わたしは、「あの世はこういう世界です」と断言するひと、
「あの世のすべてを知っています」というひとの話は、
信じないことにしています。(たくさんいますけれど 笑)
確実なのは、「生まれたら、かならず死ぬ」ということ。
どうも現代社会は、不要に病や死を恐れ、忌み嫌って
いるようにおもえてなりません。
語弊がありましたら、ごめんなさい、です。
(どこが語弊か、そっとおしえてくださいね)