あの思い出すのも忌々しい暗殺事件から2年のタイミングで本書は刊行されている。安倍晋三氏は総理在任日数が連続で2822日、通算で3188日という憲政史上最長を記録した。その間、「名言」を数多く残しているが、その中から100を厳選している。まず印象深かったのは、安倍氏の言葉(は当然、どれも心に刺さるが)というより、宝島社の安倍氏に対するスタンスだ。
「はじめに」で、現下のわが国とそれを取り巻く世界の抜き差しならない状況(戦争、地震、物価高など)に際して、「もし安倍晋三元総理がいたら、どうしていただろう」と切り出し、アベノミクスによる日本経済の浮揚、トランプやプーチンと渡り合ったタフな外交、教育基本法改正、特定秘密保護法、安全保障関連法成立、内閣人事局設立などを挙げ、これらを安倍氏の功績として称えている。そして、「安倍晋三なき日本で生きる私たちは、今こそ安倍元総理が残した言葉から学ばなくてはならない」ときた。へえ~宝島社って、安倍オシだったんだ。
安倍氏の言葉で一番印象深いというか意外でもあったのが、017「(三島由紀夫事件について)当時、世の中はやや三島をピエロのようにしようという雰囲気がありましたよね。しかし、自分の命に懸けて人に訴えることの意味はやはり大きいのではないか」。この言葉の解説で、当時高校生だった安倍氏は事件の報に接して、「自分自身は生命尊重以上の価値があることに命を投げ出すことができるのかということを自問自答した」と語ったという。同解説は、安倍元総理がメディアの激しいバッシングにも発言がブレることがなかったのは、10代の頃に強い印象を受けた三島事件の影響が少なからずあったのだろうとしている。
ところで「三島事件」の際、バラまかれた檄文にはこうある。「法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因をなして来ているのを見た。もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである」
三島の認識は自衛隊は違憲であり、「時運の赴くところ、象徴天皇制を圧倒的多数を以て支持する国民が、同時に、容共政権の成立を容認するかもしれない。そのときは、代議制民主主義を通じて平和裡に、『天皇制下の共産政体』さえ成立しかねないのである。およそ言論の自由の反対概念である共産政権乃至容共政権が、文化の連続性を破壊し、全体性を毀損することは、今さら言うまでもないが、文化概念としての天皇はこれと共に崩壊して、もっとも狡猾な政治的象徴として利用されるか、あるいは利用されたのちに捨て去られるか、その運命は決まっている。このような事態を防ぐためには、天皇と軍隊を栄誉の絆でつないでおくことが急務」(三島由紀夫著『文化防衛論』ちくま文庫)だとした。
よって、三島は自衛隊を、天皇を守る軍隊にするべく、市ヶ谷にて蹶起を促したのではなかったか。それに当の自衛隊員は「バカヤロー!キ〇ガイ!」で応じたのだ。三島の御尊父は、「倅は自衛隊員を過大評価していたのではないか」と語ったそうだが、あまつさえ自衛隊幹部の一人を斬りつけ負傷させた上、人質に取って決行しているのである。従う方がどうかしていると思うし、第一、やり方が稚拙だろう。もっとも三島には悠長に待っている時間はなく、ひたすら焦る思いだったろうが。
自衛隊の服務宣誓には、「私は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身をきたえ、技能をみがき、政治的活動に関与せず、強い責任感をもって専心職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います」とある。盾の会元会員の村田春樹氏によれば、他の国家公務員の宣誓文にも「日本国憲法を遵守し」とあるのだが、自衛官の宣誓にこれが挿入されたのが昭和48年秋。三島蹶起の3年後だそうだ。それ以前には入っていなかった。村田氏いわく「あの蹶起で自衛隊は人畜無害な組織である事が瞭かにな」ったと。これ勿怪の幸いとばかり他の国家公務員同様に宣誓させ、「護憲の軍隊」を任じ、金輪際の旧軍との断絶を余儀なくされたのだ。
村田氏は自衛隊に対しこうも吐き捨て軽蔑をあらわにしている。「弾薬も食料も援軍もなく圧倒的な敵にまさに肉弾となって吶喊した帝國陸軍、片や補給も給与も豊富で世界最強の米軍と同盟を結んでいる自衛隊。旧軍人が見たらまさに天国」だと。
三島のみならず、憲法学者の多くが違憲と指弾する今現在の自衛隊を憲法に明記する9条改正をぶち上げたのが安倍氏だった。これとて限りなき妥協の産物で、本来、あるべき2項の削除や国防軍への昇華からすれば子供だましとさえ言え、禍根を残すと酷評されもしたし、三島がもし生きていれば当然激しく非難しただろう。そんなことは安倍氏とて百も承知だ。しかし、安倍氏としては現下の政治状況を鑑みた上で、何としても「違憲」の2文字だけは許しがたく、早急に取り去らねばならなかったろう。それまで9条改正は一番後とみられていたが、真っ先にテーブルに乗せたことに意義があり、安倍晋三の面目躍如だ。彼以外にできたのか。後出しでなら苦も無く勇ましいことが言えるよ。
ともかくも安倍氏が三島にシンパシーを抱いていたのも意外だったし、そんな氏が自衛隊を違憲の呪縛から解放すべく、まがりなりにも9条改正をぶち上げたことに思いを馳せたい。かてて加えて、三島が身をもって示し、安倍氏が応じて発した「生命尊重以上の価値があることに命を投げ出すことができるのか」…これこそ戦後、日本人が失い、こんにちまで真逆の”物質・生命至上主義”をひた歩んできたことを想起すべきだ。これを取り戻すことが三島と安倍氏への何よりの慰霊だろう。
本書が選んだ001の安倍氏の言葉は「難病から回復して総理大臣となった私には、天命と呼ぶべき責任があると考えます」だ。特に第二次政権以降の安倍氏のモチベーションは、「責任感」に凝縮されるのではないか。どっかの誰かさんみたいに「延命」でなかったことだけは確かだ。ま、比べることさえ詮無いが。